ハロウィーンの渋谷 何がハッピー?孤独ではないことの確認か

[ 2015年11月16日 09:00 ]

 10月31日のハロウィーンの夜、東京・渋谷のスクランブル交差点の喧騒を取材した。騒ぎが広がった午後11時過ぎ、印象的な出来事があった。楽しそうにはしゃぐ仮装者の声を拾い終え、駅前の片隅のスペースでしゃがみながらパソコンを叩いて記事を打っていた時だ。

 記者の目の前に若い女性の尻が迫ってきた。しかも、白い下着姿。その女性は帰り支度のため、国民的美少女戦士の仮装から私服に着替えている最中だった。後ろで座っている記者を気にする素振りは微塵もない。ぱぱっと帰り支度を済ませ足早に駅のホームへ消えていった。突然飛び込んできた尻を目の前にあ然としながら、仮装した若者たちから聞いた言葉が頭に浮かんだ。

 「お祭りだから、まあいいんじゃないですか」。路上で着替えていた女性もそんなノリだったのだと思う。

 DJポリスの監視下で秩序を失ったスクランブル交差点を観察し続けて、気になったこともある。「ハッピーハロウィーン!」とハイタッチし、見ず知らずの人たちが満面の笑みで抱き合う光景。彼らは何が「ハッピー」だったのだろう。

 他人と感情を共有することはいいと思う。例えば、サッカー日本代表が勝利した時、スクランブル交差点には歓喜の輪が広がる。試合や大会の盛り上がりを示す指針としてたびたびメディアでクローズアップされる。

 サッカーの場合、「勝利の喜び」を道行く人たちと共有したいがために交差点に集まる。それはわからなくもない。では、ハロウィーンの夜に交差点に吸い寄せられてきた人たちは何を共有したかったのだろう。国籍、性別、世代はばらばら。カップルというより、同性の集団が目立った。理由をあげるなら、「孤独」を共有したかったのではないだろうか。

 「1人でいたくない」「渋谷に行けば誰かがいる」「暇つぶしに渋谷に来てみた」。なぜ渋谷に来たのかという問いかけに対し、仮装者からはこんな声が漏れてきた。ハロウィーン市場が成長した背景にはSNSの普及があるが、SNSもまた「自分のことを友達や誰かに伝えたい」「不特定多数の人に自分が何を思っているか知ってほしい」という「孤独」を紛らわすツールとして使われている現実もある。

 渋谷で仮装している人たちは、ほとんどスマートフォンで自分の姿を写真に納めていた。街を練り歩き、1人じゃないことを確認したからこそ、彼らは「ハッピーハロウィーン」と叫んでいたのかもしれない。(記者コラム)

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