【巨人1位・浅野翔吾物語(2)】逆風にさらされた中学2年の夏 チームメートからの批判が姿勢を変えた

[ 2022年10月22日 12:00 ]

指名挨拶を受け、記者の取材に応じる高松商・浅野(撮影・岸 良祐) 
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 巨人、阪神の2球団競合の末、巨人からドラフト1位指名された高松商・浅野翔吾外野手(17)。三拍子揃った超高校級スラッガーに成長するまでの秘話を、スポニチアネックスで4回にわたって紹介する連載の第2回。

 翔吾の野球人生はここまで、さも順風満帆に映る。だが、決してそんなことはない。逆風に、さらされた時期もあった。それでも、ひるむことなく果敢に立ち向かうことで、成長を促す追い風へと昇華させた。

 屋島中2年夏の新チーム発足時だった。下級生からレギュラーを張り、入学時から学年リーダーも務めていた翔吾はチーム内で飛び抜けた存在。当然、新主将の最有力候補だった。ところが…。チームメートから反対意見が出て、話し合いの場が設けられる事態にまで発展した。当時の井上宗誉監督(現・太田中コーチ)は「その(反対の)子らが、なぜそう思うか話し合って、それを浅野自身にも受け取ってもらって…。(本人の意に反して)スンナリではなかったのでショックは受けたと思う」と述懐する。

 その場では、面と向かって「自己中心的」などの批判を浴びた。翔吾はそれを正面から受け止め、お互いに本音をさらけ出して話し合った。それでも結果的には完全な信頼を得られないまま、主将就任となった。その時、井上監督から言われた言葉に発奮を促された。「100%の信頼を受けとるわけじゃないよね。だから主将としての言動や行動が大事。おまえが態度で見せて勝ち取っていくしかないんだ」――。

 そして翔吾は変わった。弁が立たない分、背中でチームを引っ張ることにした。「主将になる前はタラタラ動くこともあった」(井上監督)男が、練習開始30分~1時間前にはグラウンドに一番乗りし、率先して道具の準備を始めるようになった。周囲に対して、積極的に声をかけるようにもなった。時には意見の対立からケンカとなることもあったが、それらすべてを自らの糧とした。

 翔吾が「主将」として描いた成長曲線に比例するかのように、チームも結束を強めていった。3年春には県大会、四国大会を制し、全国大会8強に進出。最後は、チームメートから「翔吾がキャプテンで良かった」と感謝の言葉を受け取った。井上監督も「(1年間で)人間として、ものすごく成長した」と当時に思いをはせた。

 進学した高松商でも2年秋の新チームから主将を任された。この頃になると、そのリーダーシップには円熟味すら漂った。「ただ怒るんじゃなく、言い方を考えて怒るとか、相手が怒ってこないような優しい言い方で怒るとか…そうしたら相手も分かってくれる」と翔吾。「和」を尊重しつつ、チームを引き締めた。個人的にも、打てない時やミスをした際に表情に出していた態度を改め、3年時には「打てなくてもチームが勝てば良いという考え方に変わった」。その結晶が、3年夏の甲子園大会8強という結果につながった。

 中学入学時は、当時のコーチで現屋島中・森宗利晃監督から「中学1年時で(精神的には)小学4年生くらいだった」と評されるほど幼い面も持っていた翔吾。だが中学、高校の6年間で心身両面において飛躍的な成長を遂げ、ドラフト1位にまで駆け上がった。そんな「野球少年」をはぐくんだのは、地元・屋島の温かさだった。

 ※(3)に続く

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2022年10月22日のニュース