落合博満氏 日本人選手初の年俸調停が中日監督就任のキッカケ “アドリブ”で1時間半語り

[ 2022年7月8日 19:20 ]

落合博満氏
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 現役時代に3冠王を3度獲得し、監督としては中日を4度のリーグ優勝に導いた落合博満氏(68)が8日、自身のYouTube「落合博満のオレ流チャンネル」を更新。90年のオフに行われた年俸調停について振り返った。

 90年は本塁打王(34)、打点王(102)に加え出塁率(・416)でタイトルを獲得も「いや、3つ獲らなきゃ満足しないよ」と不満だったと振り返る。その年の推定年俸は1億6500万円で、落合氏が契約更改で希望した金額は3億円とプラス1億3500万円アップ。だが、球団との交渉は難航し、日本人選手で初めての年俸調停に突入した。

 年俸調停について落合氏は「あれはね。球団の代表と1回だけ会って、話埋まらないっていうのは分かったから、じゃあ“調停やりましょう”っていうんで、合意の下で調停やったんだわ」と球団と合意の上で行われたとした。

 「だから、それがちょっと時期がずれたっていうだけでね。(交渉では)球団が2億4000万円までいったのかな。で、俺が3億って言って。で、どこまで折り合いがつく?っていうんで、(球団の)2億2000万円と(落合氏の)2億7000万円。じゃあ5000万円埋まらないんだから、当時の伊藤(潤夫)代表とね、“簡単で第三者から決めてもらいましょう”って。調停っていう文言が契約書の中にあるんで、じゃあ、そこでやる方がお互いスッキリするでしょうっていうんで、もうそこで話はまとまったの」と明かした。

 「第2回目の交渉を、いつやるんだっていうような話あったけど、それも一切、周りが騒いだだけであってね。で、交渉になった時に、じゃあ球団は2億4000万円だったけども、“2億2000万まで下げるよ”って言って、で、俺も“2億7000万円から3億まで上げるよ”っていうような、そういう流れ。それがキャンプ中まで話が長引いたっていうだけでね」と経緯を語った。

 キャンプまでに契約がまとまらなかったため「自費キャンプだよ」としたが「自費キャンプだって、契約すれば戻ってくるからね」と裏話を明かした。また、年俸調停の場では「だから、コミッショナーと両リーグの会長の前で1時間半、延々としゃべった」と、原稿も用意せず“アドリブ”で話したことで「それが後々、伊藤さんが俺を中日の監督に推薦したっていう」と中日の監督就任のきっかけだとした。

 「あんだけ原稿も見ずに1時間半堂々と喋るやつは、ただもんじゃねぇっていう風に思ったのか。だから、監督に推薦したのは伊藤さんだよ。あそこでコミッショナーと両リーグの会長目の前にして、1時間半、とうとうと喋ったっていうのが、何かの縁なんだろうな。何にもなしで」と当時を懐かしんだ。

 年俸調停の末、「結局、裁定は2億2000万円」でハンコを押した。翌年にタイトルは本塁打王(37)のみだったが「次の年、タイトル1つ獲って、“前年ここまで上げるつもりだったから、今年はじゃあ3億3000万円だな”って言って、一発でハンコ押したよ」と3億3000万円で納得した。

 年俸3億3000万円について希望額か聞かれると「希望額より多かったかもわかんないな。まさかそこまで上がるとは思ってなかった」と想定よりも上だったとし「いっても3億かなぁ?かなぁ?っていうような感じだったけどね」と振り返った。

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2022年7月8日のニュース