被災地を歩む 沢村賞右腕にもらったサンダルで

[ 2021年9月10日 14:27 ]

故郷・楢葉町で再スタートを切った元DeNA・赤間謙さん
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 【君島圭介のスポーツと人間】彼は少し痩せたが、変わらない人懐っこい笑顔で迎えてくれた。「現役を辞めて体重は5キロ落ちました」と言って、アイスコーヒーをテーブルに置いた。

 赤間謙――昨季限りで引退した元プロ野球投手は、生まれ故郷である福島県楢葉町に戻っていた。

 「町は変わっただろうって聞かれるけど前をよく知らないんです。住んだのは中学生まで。行動範囲は限られるじゃないですか。そういえば家が少なくなったなとか、そのくらいですね」

 楢葉町が甚大な被害を受けた11年の東日本大震災のときは大学生だった。高校(東海大山形)から山形で寮生活を送り、東海大を経て社会人野球の強豪・鷺宮製作所に進んだ。15年にオリックスにドラフト指名されると、1年目は中継ぎを中心に24試合に登板した。18年シーズン中にDeNAにトレード。右足関節の手術もあって、19年に7試合登板しただけで昨オフに戦力外通告を受けた。

 だが、赤間の口から出るのは感謝の言葉ばかりだ。「ベイスターズからは球団スタッフの仕事オファーいただいたんです。有り難かったけど、退団することを決めて。そうしたらすぐにバファローズからもお話をいただいて」。戦力外でも人材として嘱望された。

 それでも赤間は「恩返しがしたかった」と、楢葉町に戻ることを選んだ。プロ野球の世界に未練はないのだろうか。

 「テレビで観ていると凄いところにいたんだなと思いますね。古巣は気になります。吉田正尚が五輪で活躍する姿とか、杉本(裕太朗)は今年ホームラン凄いですよね。2人とも同期なんで気になります。それから」

 オリックスの平野佳寿、海田智行、比嘉幹貴、DeNAの宮崎敏郎……、他にもお世話になった先輩たち、可愛がった後輩たちの名前が途切れることなく出てきた。

 故郷に戻った赤間は楢葉町スポーツ協会に勤務している。Jヴィレッジが運営するならはスカイアリーナに隣接する野球場、陸上競技場、多目的グラウンドなどの管理、運営が主な仕事だ。

 今年の夏、スポーツ協会が中心となって少年野球大会を主催したが、新型コロナウイルスの影響で延期となった。赤間は「中止ではなく延期です。絶対に開催しないといけない。震災、コロナ、子どもたちのためにコミュニケーションの場を作りたいんです」と言った。

 震災を乗り越えようともがいている最中のコロナ禍だ。温厚な顔に厳しさが浮かんだ。マウンドで数多(あまた)の修羅場を経験してきた男が現実と向き合う。その足元にはすり減った古いサンダルがあった。「これは金子さん(弌大=現日本ハム)に昔いただいたんです。まだ履いてるのかって笑われそうですね」。そう言うと、引き締まった顔がまたほころんだ。(専門委員)

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2021年9月10日のニュース