名将、木内幸男氏が肺がんで死去 「木内マジック」勝つために考え、選手を信じたダルビッシュ打ち

[ 2020年11月24日 20:26 ]

好投手の東北・ダルビッシュを攻略し、夏の甲子園初優勝を飾り胴上げされる常総学院・木内幸男監督(2003年8月23日撮影)
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 高校野球で茨城の取手二、常総学院の監督として春1度、夏2度の甲子園大会優勝を成し遂げた木内幸男(きうち・ゆきお)さんが24日午後7時5分、肺がんのため茨城県取手市の病院で死去した。89歳だった。茨城県土浦市出身。

 土浦一で外野手として活躍し、卒業後も母校の指導を続けて1953年に監督就任。1957年に取手二の監督に招へいされ、1984年夏に桑田、清原の「KKコンビ」のPL学園を破って初の全国制覇。翌85年に常総学院の監督に就任し、2001年センバツ優勝。2003年夏の日本一を花道に一度勇退したが、2007年に復帰。80歳の2011年夏を最後に現場を退いた。甲子園に春7度、夏15度出場し、歴代7位の通算40勝を挙げている。

 練習から選手を観察して能力を引き出し、大胆な選手起用や戦法で「木内マジック」と呼ばれた。2003年夏の甲子園決勝の東北(宮城)戦。ダルビッシュ有投手(現カブス)を有する相手に、試合前に選手に「ダルビッシュは絶対に日本一の投手になっからな。お前たち、ダルビッシュを打って勝ったら将来、子供ができたときに自慢できっぞ。お父さんはあのダルビッシュを打ったんだぞってな」と話したエピソードは有名だ。当時、ダルビッシュが足に不安を抱えたことを見抜き「足が不安なのに9回投げるつもりなら、どこかで抜いてくる。でなきゃ9回は持ちません。抜くなら変化球のスライダーです。“それを打っちまおう”と。痛めてる足を狙ってバントで崩したって子供たちはヒーローになれない」と策を伝え、攻略した。

 「木内さん、何であんなことやってくんの?」と他校の指導者から問われると、こう、答えていたという。「仕方なかっぺよ。こうでもしなきゃ、勝てねえんだから」。教え子を信じ、相手のとの力関係の中でどうやれば勝てるかを考え続けた。

 教え子でプロ野球選手は元阪神監督の安藤統男のほか松沼博久、雅之兄弟、現常総学院監督の島田直也、仁志敏久、金子誠らがいる。

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