“火の玉”生みの親 山口高志氏 球児ねぎらう「もう1回、甲子園で投げる姿を」

[ 2020年9月1日 05:30 ]

阪神・藤川球児、今季限りで引退

11年、山口コーチ(左)と談笑する藤川

 「火の玉ストレート」の生みの親として知られる山口高志氏(70=関大野球部アドバイザリースタッフ)は、かつての教え子である阪神・藤川が下した決断に思いをはせた。

 「まず、ご苦労さまと言いたい。でも、明日から阪神のユニホームを脱ぐわけじゃないから。とにかくもう一回、もう一試合でもいいから、甲子園で投げる姿を見たい。その姿をこの目に焼きつけておきたい。それが、たとえ苦しんでいる姿だとしてもね」

 オリックスのコーチだった1998年当時から「高知商の藤川」を認識。野球センスと運動能力を買う当時の担当スカウトは野手として評価していたというが、現役時代に剛速球を投げていた山口氏の見立ては違っていた。「いい筋のストレートを投げるなと。これはドラ1の素材だなと」。運命に導かれるように2人が出会ったのは、同氏が阪神2軍投手コーチに就任した03年。1軍と2軍を行き来していた若き球児との二人三脚が始まった。

 指導の根幹をなすのが右膝の使い方だ。「俺のコーチングはそれだけ」と言うように、右膝が折れる癖の修正に最も神経を注いだ。球の伸びや角度につながる右膝の使い方。これをマスターしたからこそ球界を代表するクローザーへと成長を遂げた。

 「習得せずに終わる投手もたくさんいた。俺がみんなの記憶にとどめてもらえているのは、あいつが活躍しているから」と感謝。「数字以上に心にインパクトを与えた。記憶にも記録にもね。長年ドラ1の十字架に苦しんでいたけど、すごいピッチャーになったよ」。指導者みょうりに尽きる「最高の教え子」に変わりはない。(吉仲 博幸)

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2020年9月1日のニュース