【中日・岩瀬という男】円形脱毛症7つも…専任美容師が語る野球人生

[ 2018年9月29日 09:00 ]

セ・リーグ   中日4―3阪神 ( 2018年9月28日    ナゴヤD )

岩瀬を散髪する高橋さん
Photo By スポニチ

 長く投げ続けてきたからこそ、増していくプレッシャーや責任感。その苦しみは次第に岩瀬の身体に形として出始めた。10円玉ぐらいの大きさの円形脱毛症の症状が出始めたのは12年の夏頃。高橋さんが当時を回想する。

 「最初は1つ2つだったのが多い時は7つもあった。精神的なストレスしかない。体も心も悲鳴を上げていたんだろう」

 12年は抑えに定着してから、最も苦しんだシーズンでもある。7月頃から救援に失敗する試合が増え8月には2軍落ち。ケガや不振での降格は10年ぶりだった。登板は700試合を超え、年齢は40歳が近づき「世代交代」をささやかれ始めた時期でもあった。

 円形脱毛症は白髪になってから抜けていく。生えてきても黒髪ではなく白髪。「本人が表に出していない。ならば隠し続けようと抜けていない部分を伸ばし、黒く染めた」と周りに気づかれまいと手を尽くした。

 だが、抜ける部分はどんどん広がり「10円レベルでなくこぶしくらいの大きさが2つあった」と隠し通せなくなった。髪の毛だけでなく眉毛も抜け出し、眉ペンを渡したが「“毛がなくてツルツルで書けなかった”と言われた」。それほどまで自分を追い詰めながら野球を続けてきた。

 円形脱毛症の症状が改善したのは3、4年前から。オフは徹底的に休んでいた岩瀬が冬にも体づくりに取り組みだし「気持ちも切り替わったのか髪の毛がイキイキし始めた。もう一回、できるんだという気持ちが強かった」と変化を口にする。15年は左肘の故障で1軍登板が一度もなかったが、40歳を超えて復活を果たし1000試合までたどり着いた。

 「世代交代の波にぽしゃらなかった。根本が負けず嫌いなんだろうね」。長年、髪の毛を通して見てきた高橋さんだからこそ分かる苦悩と、それを乗り越えた岩瀬の強さであった。(中日担当・徳原 麗奈)

続きを表示

2018年9月29日のニュース