巨人戦力外から5年 メジャーデビュー果たした村田透の純朴な素顔

[ 2015年7月29日 09:00 ]

6月28日のオリオールズ戦でメジャーデビューを果たした村田

 「友達が新人王になったんですよ!自分も頑張ります」

 2010年11月、戦力外となり、泣きたいような状況にも関わらず、村田透は声を弾ませていた。07年の大学・社会人ドラフト1位で巨人に入団し、1軍登板なくわずか3年で戦力外となった、その人だ。ほどなくして、インディアンスとのマイナー契約を発表。渡米5年目の今年6月28日、オリオールズ戦でメジャーデビューを果たしたことは周知の通りだ。

 友達とは、今やメジャーを代表する捕手となったジャイアンツのバスター・ポージーのこと。この前年の09年、アリゾナ秋季リーグに参加していた村田は、スコッツデールでポージーとチームメートになった。リリーフで9試合に登板したが、ポージーとバッテリーを組むことも多く、クラブハウスでもすぐに打ち解けたという。わずか1年前、同じユニホームを着た2人は、片や戦力外に、片やワールドシリーズでも3割を打つ活躍で、世界一に上り詰めた。その差を恨めしく語ることもなく、素直にモチベーションに変えていた。なかなかできることではない。

 12年3月、アリゾナ州グッドイヤーでのマイナーキャンプで取材する機会があった。わずかな年俸、食事も粗末、移動はバス。マイナーリーグと聞けばそんな過酷な環境が想起されるが、実際に見たキャンプで何よりも印象的だったのが、その競争環境。背番号のない、そろいの紺と赤の練習用ユニホームを着た選手がおよそ100人。「野手キャンプが始まると、もっと人が増える」という有り様で、首脳陣の目を引くのは至難の業に思えた。ましてや米国は、自己主張やセルフプロデュースなくして、はい上がれない世界。巨人時代からおっとりとした性格だった村田に、この世界で生き抜く力はあるのだろうかと、内心は案じた。

 こんなこともあった。その後日、村田を食事に誘った。入ったのは日本で言うところのファミレス。遠慮なく何でも注文してと言ったのだが、前菜も頼まず、メーンのステーキのみを注文。しかも追加料金のかからないサイドディッシュすら、なぜか遠慮した。運ばれてきたのは、大きな白い皿に肉だけが乗ったもの。「こういうことですか。やっちゃいましたね」と屈託なく笑う。本人が認めるかどうかはともかく、村田透はプロ野球選手らしからぬ、純朴な青年だった。

 打ち込まれはしたが、メジャー初登板で堂々たるマウンドさばきを見て、少し胸が熱くなった。5年間、黙々と自己研さんを続けてきた努力のたまものに違いない。ダイヤモンドの原石から有象無象までが集うマイナーをはい上がってきたのだから、自己主張もできるようになったのだろう。

 今、食事に誘ったら、遠慮なく注文し、おなかを満たしてくれるだろうか。(阿部 令)

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2015年7月29日のニュース