さらば名将…横浜、有終Vならず 渡辺監督、今後は終身名誉監督に

[ 2015年7月29日 05:30 ]

<横浜・東海大相模>応援団に一礼する渡辺監督(左)

第97回全国高校野球選手権神奈川大会決勝 横浜0―9東海大相模

(7月28日 横浜)
 甲子園春夏5度の優勝を飾った横浜の渡辺元智監督(70)が28日、51年間にわたる指導者生活に幕を下ろした。第97回全国高校野球選手権大会(8月6日から15日間、甲子園)の神奈川大会決勝で横浜は東海大相模と対戦し、0―9で敗れて準優勝。今夏限りでの勇退を発表していた渡辺監督の夏が終わった。甲子園監督通算勝利数3位タイの51勝を挙げた名将。涙を浮かべながら、グラウンドに別れを告げた。

 教え子には「人生の勝利者たれ」と説き続けてきた。有終の美を甲子園出場で飾ることはできなかったが、戦いを終えた渡辺監督は、まさに「勝利者」として称えられた。ナインの手で3度胴上げされ、一塁側スタンドは「ありがとうございます」「お疲れ様でした」と描かれたメッセージボードで埋め尽くされた。

 目頭が熱くなる。そして、東海大相模・門馬敬治監督を「神奈川のために相模が頑張らんといかんぞ」と励まして握手すると、涙がこぼれた。

 「選手に感謝。その一言。実感はなくて、まだまだ続くのかなあと。家に帰って女房と一杯やったら実感湧くのかな」

 指導歴51年で甲子園に27度出場。選手を自宅に住み込ませ、生活費はパチンコで補うほど苦しかった時代を乗り越えて73年センバツで初出場初優勝した。80年に愛甲を擁して夏の甲子園を初めて制し、98年には松坂らを軸に史上5校目の春夏連覇。熱を込めて選手と向き合い、時代に合った指導でプロ入りした教え子は50人を超えた。

 一方、89年に胃潰瘍、04年には脳梗塞で倒れた。近年は腰痛やメニエール症候群に悩まされた。昨年限りで名参謀だった前部長の小倉清一郎氏が退任。「グラウンドで死んでもいいかなと思うこともあったが、選手はそれで幸せか、と。個人の欲求を優先してはいけない」。自らも5月に一線を退くと決めた。

 ナインは甲子園に連れて行きたい一心でノーシードから勝ち進み、5回戦から3戦連続逆転勝ちで決勝へ。東海大相模に4投手をつぎ込んで食い下がったが、強力打線に屈した。泣き崩れる選手たちに、名将は「栄光より挫折。成功より失敗。大きな代償を無駄にしてほしくない」と温かく最後の言葉を贈った。

 今後は終身名誉監督となり、グラウンドにも足を運ぶ意向だ。「(高校野球は)人生そのもの。多くの人脈、選手に恵まれた。(51年間は)あっという間。幸せでした」。3万の大観衆から万雷の拍手が降り注ぐ中、静かにユニホームを脱いだ。(松井 いつき)

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