北京で失墜した「日本野球」が蘇えった!

[ 2009年3月7日 22:49 ]

韓国戦の2回、3ランを放った村田修一を迎える、日本ナインとスタンドのファン

 【日本14-2韓国】対左腕の切り札は余裕を持って見送っていた。1回、金広鉉から1点を奪い、なお2死一、二塁。北京五輪で日本の右打者がきりきり舞いさせられた金最大の武器、フォークボール級の内角スライダーに、内川のバットはピタリと止まった。初対戦、しかも今大会初打席で、カウント2―1と不利な局面だった。

 次もスライダー。確かに好調時の鋭さはなかったが、球筋か球種を分かっていたように振り切って、2点二塁打を放つ。「一つ目を見逃したことで勝機が出た。北京で右打者がやられていたので、警戒していた」と事前に映像で研究した成果に胸を張った。
 2回には中島がスライダーをファウルで粘り、押し出し四球。4番に昇格した村田も同様で、最後に10球目のチェンジアップを左翼席に運んだ。「スライダーをファウルにし、投げる球がなくなったかも。北京でこてんぱんにやられていたので、絶対に打つ気持ちだった」。組み替えた打線で、鍵を握っていた右打者が、彼らには脅威の内角スライダーをことごとく見極め、不安定な松坂を大量点で援護した。
 五輪では2度も抑え込まれた天敵。各選手は大会前に偵察するなど、プライドを捨て雪辱にかけてきた。何度も同じ相手に苦杯をなめるわけにはいかなかった。再戦の可能性があり、原監督は「(金への高い)評価は変わっていない」と慎重ながら「各選手が自分の間合いで打てていた」。予想を超える大勝。北京で失墜した「日本野球の底力」を、確かに見せた。

続きを表示

2009年3月7日のニュース