NYに戻ってきた「日常」に見る復元力 社会とスポーツ界に必要な方策と時間

[ 2021年6月8日 09:40 ]

1万6512人がマジソンスクエア・ガーデンに詰めかけた2日のニックス対ホークス戦(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】6日に米ニューヨーク市のヤンキースタジアムで行われた大リーグのヤンキース対レッドソックス戦には球場の収容能力の40%に相当する1万9103人のファンがスタンドで観戦していた。室内競技となるNBAではさらに“密”な状況。2日に同市のマジソンスクエア・ガーデンで実施されたNBAのプレーオフ1回戦、ニックス対ホークスの第5戦には1万6512人が観戦した。これは収容能力の84%に相当。同市(ブルックリン)に本拠を構えているネッツが5日に臨んだバックスとの東地区準決勝初戦にもバークレイズ・センターには1万5750人が集まったが、これは収容能力の89%に達しており、スポーツ界ではほぼ“日常”が戻ってきている。

 ニューヨーク州は新型コロナウイルスに累計で210万人が感染して5万3000人が死亡。そういえば去年の今ごろは死者が急増して病院と葬儀場が満杯となり、冷凍トラックが遺体を保管する臨時の安置所になっているといった記事を書いていた記憶があるが、その最悪の状況から1年で着実なリカバリーを見せている。

 米国内でワクチン接種が始まって約半年。ニューヨーク州では少なくとも1回の接種を済ませた18歳以上の成人の割合が69%に達し、感染防止対策への“規制”が全面的に緩和されるであろう70%にあと一歩まで迫ってきた。今年の3月24日には1日で2万人の新規感染者を出していたが6日の段階では491人。2ケタを超えていた検査の陽性率は0・7%にまで低下している。

 その一方で、接種率70%(1回以上)という目標ラインを前にして伸び率は全米各州で鈍化。バイデン大統領は独立記念日(7月4日)までにこの目標を達成することを掲げてきたが、全50州に規模を広げると現時点ではニューヨーク州よりも低い63%。接種を受ける人の増加率は横ばい、もしくは減少しており、その背景には「最初は希望者からワクチンを接種するのでペースは速く、やがて“接種を受けたくない”という人が残っていくのでその数がなかなか増えない」という要因が挙げられている。

 このペースの鈍化を解消しようと、ニューヨーク、ニューメキシコ、コロラド、オレゴン、メリーランド、オハイオ各州では、ワクチン接種をした人を対象に“宝くじ”を実施。州ではなく市としてもこれを始めた自治体もあり、ペンシルベニア州フィラデルフィア(人口158万人)では今月21日から賞金5万ドル(約545万円)が2人、5000ドル(約55万円)が4人、1000ドル(約11万円)が6人に当たる“ワクチンくじ”を始めると発表。接種会場になんとかして1人でも多く足を運ばせたいとする思惑が見え隠れしている。

 さて「周回遅れ」とまで言われた日本のワクチン対策だが、幸いにも先行する国々が残したデータと対策を目の前で確認することができる。新規感染者が目に見える形で減少していくのは「米国型」ではワクチン接種率(少なくとも1回)が30%から40%付近に達したあたりであり、それに呼応するようにスポーツ界でも観客がスタジアムやアリーナに戻っていく。さらに70%というラインに達するには予想以上に時間がかかり、接種率はやがて鈍化していく可能性が高い。

 陽性率が1%未満となったカリフォルニア州がそうであるように経済活動を完全な形で元に戻すには、安全確認のための準備期間としてさらに1~2カ月ほどが必要。“ワクチンくじ”に効果があるのかどうかはわからないが、少なくとも検討する価値はあると思う。

 結論から言えば、観客を完全な形で動員して五輪とパラリンピックを開催することは無理だ。それは米国が必要としたワクチン接種導入から社会とスポーツ界が復元するまでに要した時間の長さが証明している。それを無視するなら、日本は米国が持っていない事例を挙げる必要がある。では大会開催自体が無理なのか?そこからは前例がないのでリスクをどこまで受け入れるのかという問題に移行していくが、そこには今、大会開催に肯定的な人と否定的な人の間に大きな溝が生まれている。

 私のスポーツに関わる人生最初の記憶は1964年10月21日。白黒テレビに映し出されたマラソンのクライマックスだった。国立競技場に入ってきた日本の円谷幸吉を英国のベイジル・ヒートリーが抜いていくその姿を見て、多くの日本人同様に「円谷、頑張れ!」と叫んでいたと思う。円谷のタイムは2時間16分23秒。2位ヒートリーとは4秒差の3位で銅メダルを獲得するという立派な成績だったのだが、疲れ果てた表情で悲しそうにゴールした姿が印象的だった。それから57年。2度目の東京五輪ではその円谷の表情がまた目に浮かぶ。栄光と表裏一体の悲壮感。決して理想とは言えない方向に、五輪とパラリンピックが突き進んでいるような気がしてならない。
 
 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。還暦だった2018年の東京マラソンは4時間39分で完走。

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