追悼連載~「コービー激動の41年」その30 優勝後に直面したまさかの大事件

[ 2020年3月17日 08:30 ]

現在クリッパーズの取締役を務めているウエスト氏(左)とバルマー・オーナー(AP)
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 【高柳昌弥のスポーツ・イン・USA】1999年のプレーオフ西地区決勝でトレイルブレイザーズを下してファイナルに進出したレイカーズは、天才シューター、レジー・ミラー(当時33歳)を擁していたペイサーズを4勝2敗で下して12年ぶり12度目の優勝を飾る。敵地インディアナポリスでの第4戦は延長戦に突入。コービー・ブライアントは、36得点21リバウンドを挙げながらも延長(5分間)の残り2分33秒に6反則で退場したオニールに「気にしないでいい」と声をかけた。そして120―118で勝利。「もし成長したいと思うゲームがあるなら、きょうがまさにそうだった」とブライアントが語ったように、それはオニール不在という中で自分自身がひと回り大きくなった一戦だった。

 優勝が決まったあと、レイカーズのジェリー・バス・オーナーは「他の監督だったら同じことができたと思うか」と質問されている。そして「答えはNO。優秀な監督はたくさんいる。しかし優秀な才能をひとつにまとめられるかどうかは別の問題。フィル(ジャクソン)は見事にそれをやってのけた」と答えた。

 ブルズから1年のブランクをはさんでレイカーズにやってきたジャクソン。就任1年目で早くもファイナル制覇を達成したのだから最大級の賛辞を集めた。しかし優勝パレードが終わって1カ月もしないうちにブライアントもオニールもそしてジャクソン自身が驚く“大事件”が起きた。それは1996年のドラフトでブライアントをトレードでホーネッツから獲得した張本人でもあるジェリー・ウエスト副社長兼GM(現クリッパーズ取締役)が突然、切り出した辞任の申し出と退団である。

 「ジェリー・ウエストが辞めると言っている」。CBSのアナウンサーだったラリー・バーネットからその一報を聞いたジャクソンは耳を疑った。たちまちブライアントらにこの知らせは届き、レイカーズを選手、監督、GM、副社長として支えてきた男の去就が注目され始めた。ウエストは何らかの形で生涯球団に残るものと思われていただけに波紋を呼ぶ。退団の正式発表は8月。ウエスト本人が出席しての会見はなく、プレス・リリースが1枚流されただけの簡素なものだった。

 NBAのロゴマークにもなった人物だけにあまりにも違和感がある。しかしウエストは現役を辞めるときも会見などは行わなかった。1974年10月。36歳になっていた彼はトレイルブレイザーズとのプレシーズン・ゲームを控えた前日になって、トレーナーのフランク・オニールに「もうこれ以上、ユニフォームを持ってこなくていい」と告げている。これが事実上のピリオド。そのあと当時のビル・シャーマン監督と、新たにGMに就任していたピート・ニューウェルに「もうこれ以上できません。自分のプレーができないんです。私の内側には何も残っていません。ファンやチームメートをごまかせないんです」という自分の意思を明らかにした。開幕まで1カ月を切っての引退表明である。現在のNBAならありえない話だ。

 もちろんシャーマンもニューウェルも説得。しかし2日たってもその決意は変わらず、NBAのロゴ男はある日、突然コートを去っていったのである。しかしその時は選手としての限界を感じたというはっきりとした理由があった。だから会見がなくてもウエストの思いはなんとなく伝わってきた。だがフロントとしてレイカーズを辞めると言い出したあと、周囲にはその理由がすぐにはわからなかった。

 やがて辞任&退団の理由がセンセーショナルなタッチでメディアに取り上げられる。きっかけになったのは「ジャクソンVSウエスト」のロッカールーム事件。日付は特定されていないが、優勝したこの年のプレーオフの試合のいずれかだったとされている。チームの中で対立していたのはオニールとブライアントだけではなかったのだ。(敬称略・続く)。

 ◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には一昨年まで8年連続で出場。フルマラソンの自己ベストは2013年東京マラソンの4時間16分。昨年の北九州マラソンは4時間47分で完走。

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