コービー氏よ永遠に…13歳次女とともにヘリコプター墜落死 41歳NBAスーパースターを襲った悲劇

[ 2020年1月28日 05:30 ]

コービー・ブライアント氏ヘリコプター墜落死

ヘリコプター墜落事故で犠牲となってしまったコービー・ブライアント氏(AP)
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 NBAのレーカーズ一筋で2015~16年シーズンまでプレーし、史上4位の通算3万3643得点を記録したコービー・ブライアント氏(41)が26日、米ロサンゼルス郊外で発生したヘリコプター墜落事故で死亡した。同乗していた13歳の次女・ジアナさんを含めた9人全員が死亡。ブライアント氏はジアナさんのバスケットの試合を観戦するために移動していた際、悲劇に巻き込まれた。世界的スーパースターの早すぎる死に衝撃が走った。

 機体の残骸が無残に散らばっていた。ブライアント氏を含む搭乗者全員の死亡が確認されると、生存にいちるの望みを懸けていた世界中に悲しみが広がった。

 地元紙ロサンゼルス・タイムズ(電子版)によると、26日午前9時(日本時間27日午前2時)すぎに出発したヘリコプターは、約1時間後の10時ごろ、ロサンゼルス西部の山に墜落した。当時は濃霧。AP通信によると、他のヘリコプターは運航を見送っていたとしている。

 ブライアント氏を含めた全員が、ロサンゼルス南部のジョン・ウェイン空港から同氏が所有する中型ヘリに乗ってカマリロ空港へ移動中。そこから車で15分ほどで、ジアナさんがプレーする試合会場に到着するはずだった。ブライアント氏は事故発生の数時間前、レーカーズのレブロン・ジェームズ(35)が自身の3万3643点を抜いて歴代3位に浮上したことに対してツイッターで祝福したが、これがブライアント氏にとって生前最後のツイートになった。

 高卒選手として96年のドラフトで全体13番目にホーネッツに指名され、その1カ月後にレーカーズへトレード。卓越した得点力と感情を表に出すスタイルでスターダムにのし上がった。ファイナル優勝5回、球宴出場18回、得点王2回という輝かしい成績を残して16年シーズンを最後に現役を退いた。

 日本とは浅からぬ縁があった。元NBA選手でbjリーグの東京などで監督を務めた父のジョー・ブライアント氏が、現役時代に食べた「神戸牛」に感動して「KOBE(コービー)」と名付けられた。98年オフシーズンにはスポンサーの招待で初来日。01年から11年まで神戸大使を務めた。

 引退後は選手として才能を受け継いだジアナさんに対してだけでなく、女子バスケット界の発展にも尽力してきた。また、自身のバスケットボールへの愛を形にした短編アニメ作品が米アカデミー賞を受賞する多才ぶりでも知られた。コート内外で鮮烈な印象を残したスーパースターの訃報に、世界が涙した。

 【NBA全試合で背番号にちなみ追悼】26日に行われたNBA全試合ではブライアント氏の背番号「8」と「24」にちなみ、試合開始直後に8秒以内でボールをフロントコートまで運ばない「8秒バイオレーション」と24秒以内にシュートを打たない「24秒バイオレーション」を意図的に実施。鎮魂のバイオレーションで哀悼の意を示した。

 【スポーツ選手の非業の死 】
  ☆ダンカン・エドワーズ(サッカー) イングランド代表に当時最年少記録の18歳183日でデビューするなど天才と称されたプレミアリーグ、マンチェスター・ユナイテッドの中心選手。1958年2月にチームのチャーター機が離陸に失敗し、21歳のエドワーズを含む8選手が死亡、7選手が重傷を負った。「ミュンヘンの悲劇」と呼ばれている。

 ☆大場政夫(ボクシング) 当時WBA世界フライ級王者。1973年1月2日に5度目の防衛に成功したが、わずか23日後の25日に首都高速で大型トラックと正面衝突して事故死した。現役世界王者のまま、23歳での死去だった。

 ☆アンドレス・エスコバル(サッカー) コロンビア代表のDFとして1994年W杯米国大会に出場。1次ラウンドの米国戦で自身のオウンゴールにより敗戦し、大会からの敗退が決まった。帰国後の同年7月に暴漢から12発もの銃撃を受け、27歳で死亡した。この事件は「エスコバルの悲劇」と呼ばれている。

 ☆ペイン・スチュワート(ゴルフ) 米ミズーリ出身のメジャー3勝を含む米ツアー通算11勝の実力者。1999年に全米オープンでメジャー優勝を果たした4カ月後の10月に、チャーター機が墜落して42歳で死去した。

 ☆エミリアノ・サラ(サッカー) アルゼンチン人FWは19年1月に搭乗していた小型飛行機の墜落により28歳で死去。フランス1部ナントから、移籍が決まったばかりのイングランド・プレミアリーグのカーディフへ合流する途中だった。

 ☆カイオ・ジュニオール(サッカー) 16年11月にブラジルのシャペコエンセの選手ら81人が搭乗したチャーター機がコロンビアで墜落。乗員・乗客77人のうち、元J1神戸指揮官のジュニオール監督らを含む71人が犠牲となった。

 ☆ヴァレンティーノ・マッツォーラ(サッカー) 1949年5月4日、イタリア代表10人を要してセリエAを4連覇中だったトリノが巻き込まれた。遠征帰りの飛行機が、トリノ市郊外のスペルガの丘に墜落。エースのマッツォーラら乗員・乗員31人全員が死亡し、「スペルガの悲劇」と呼ばれる。

 ☆ロベルト・クレメンテ(MLB)72年に地震被害のニカラグアへ救援物資を運ぶ飛行機に乗り込み、墜落事故で死去。38歳。通算3000安打で後に殿堂入り。慈善活動を行う大リーガーを称える賞が「ロベルト・クレメンテ賞」と命名された。

 ☆ロイ・ハラデー(MLB)17年11月、フロリダ州沖で操縦した小型機が墜落して死去。40歳だった。メジャー通算203勝で13年に引退。後の19年1月、資格1年目で野球殿堂入りした。

 ◆コービー・ブライアント 1978年8月23日生まれ、ペンシルベニア州フィラデルフィア出身。レーカーズではNBA優勝5回、NBA記録となる18年連続オールスター選出のほか、NBA歴代2位の1試合81得点など輝かしい記録を持つ。08年北京、12年ロンドンの両五輪に出場し、米国の連覇に貢献。高確率で要所でのシュートを決める勝負強さで、毒蛇になぞらえ「マンバ」の異名を取った。レーカーズの背番号8と24は永久欠番になっている。1メートル98。

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