五木ひろし「ウソだろう…」八代亜紀さん悲報にショック大きく…「売れる前から知っていた彼女は別格」

[ 2024年1月9日 22:30 ]

五木ひろし
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 「五八戦争」の好敵手だった八代亜紀さんの急逝に、五木ひろし(75)は言葉を失った。ともに苦節時代を経てスター歌手になった間柄。本紙の取材に「ウソだろうという気持ち」と言葉を絞り出した。

 まだ「三谷謙」という芸名だった五木は1969年(昭44)ごろ、東京・銀座のクラブで弾き語り歌手をしていた。「エース」というクラブで2歳年下の八代に出会ったという。「美人だし、ハスキーな個性的な声で歌がうまかった」。自分もまだ売れていなかったにもかかわらず、五木は知り合いのレコード会社ディレクターや芸能事務所の人に彼女を紹介。「こんなにうまい子がいる」とアピールして回ったという。

 翌70年に五木は「全日本歌謡選手権」というオーディション番組に背水の陣で臨み、見事グランドチャンピオンとなり、「五木ひろし」としてデビューした。八代も、その後を追うように71年に同番組に出場したことをきっかけに人気歌手になった。ずっと妹のように可愛がっていた八代と「五八戦争」と呼ばれる、第22回日本レコード大賞を巡って熾烈(しれつ)な戦いが繰り広げられたのが80年だった。

 前年に独立して個人事務所を立ち上げた五木は「ふたりの夜明け」、一方で前年に「舟唄」が大ヒットした八代は「雨の慕情」での勝負だった。「“舟唄”は最初に聴いた時に鳥肌が立ったほど大好きだけど、“雨の慕情”はそれほどでも。みんな“五八戦争”というけれど、“五六戦争”だった。彼女が所属していた六本木オフィスという事務所の力に負けたと今でも思っている」と五木。「負けて悔しかったけど、喜んで飛びついてきた彼女には良かったなと思う」と、互いに努力でつかんだ栄光の喜びを共有する。

 昨年は親交のあった谷村新司さん、もんたよしのりさん、大橋純子さんと、同世代の仲間が相次いで亡くなった。その最後が八代さん。「後輩の歌手は大勢いるが、売れる前から知っていた彼女は別格。本当に言葉が出て来ない。とてつもなく残念だし、ウソだろうという気持ち。信じられません」と悲しみをこらえていた。

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