八代亜紀さん死去、73歳 急速進行性間質性肺炎のため昨年12月30日に 昨年9月に難病発症し療養も

[ 2024年1月9日 18:08 ]

八代亜紀さん
Photo By スポニチ

 「舟唄」「雨の慕情」などの名曲でしられる歌手の八代亜紀(やしろ・あき)さんが昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していたことが9日、分かった。所属事務所が公式サイトで発表した。73歳。熊本県八代市出身。葬儀は8日に執り行われた。

 昨年9月に療養のため年内活動休止を発表していた八代さん。「少しの間、大好きな歌と絵から離れなきゃいけないのは寂しいけれど、必ず元気になって戻ってきますので待っててね。また皆様とお会い出来る日を楽しみに頑張ります!」とファンに向けてメッセージを送っていたが、願いはかなわなかった。

 昨年は8月28日にブルーノート東京でバースデーライブを行い、いつもと変わらない歌声で観客を魅了したほか、9月9日には埼玉県熊谷市での公演「日野皓正クインテット」にゲストとして登場していた。

 1950年(昭25)8月29日に熊本県八代郡金剛村に生を受けた八代さん。幼少の頃から父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴きながら育った。歌が大好きな幼少期には地元の歌唱コンクールなどにも出場。小学5年生の時、父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き、そのハスキーボイスに魅せられる。自身もハスキーボイスの持ち主だった八代は、コンプレックスがあったが、ジュリーの声質に勇気づけられ、クラブ歌手になることを意識するようになった。

 中学卒業後、地元のバス会社九州産業交通(現・九州産業交通ホールディングス)のバスガイドとして勤務。15歳で父親の反対を押し切り上京した。音楽学院に通い、3年後には銀座のクラブ歌手となりスタンダードやポップスなどを歌った。同じクラブで歌っていた歌手に三谷謙(のちの五木ひろし)がいて、三谷から芸能プロダクションを紹介された。

 1971年にテイチクより「愛は死んでも」でデビュー。芸名の「八代亜紀」の姓は出身地の八代(やつしろ)市から。語呂の良さから「やしろ」という読みにした。本名である明代より呼びやすい2文字アキとし、また漢字の「亜紀」としたのは「アジア(亜細亜)で何世紀も活躍できるように」との願いが込められた。

 読売テレビのオーディション番組「全日本歌謡選手権」に出場し、10週連続勝ち抜きでグランドチャンピオンとなったことで、レコードが売れ始める。1973年に「なみだ恋」が120万枚と大ヒットした後も「しのび恋」「愛ひとすじ」「おんなの夢」「ともしび」「花水仙」「もう一度逢いたい」「おんな港町」「愛の終着駅」など、女心を歌った歌で次々とヒット曲を連発した。

 79年に新境地を開拓した初の男歌「舟唄」が大ヒット。80年に発表した「雨の慕情」で日本レコード大賞を受賞。これら2曲は「港町絶唱」と共に阿久悠、浜圭介、竜崎孝路のコンビによる「哀憐三部作」とされ、NHK紅白歌合戦では2年連続大トリを務めた。こうして「演歌の女王」と称されるようになった。

 2012年頃からジャズ、ブルースなどを本格的に歌うように。その後は、年間を通じて全国を巡るコンサートやディナーショーは、演歌、ジャズ、ブルースを構成した内容で、ジャンルレスを掲げた公演を続けた。また、長年さまざまな形でのボランティア活動や故郷での地域社会貢献活動などにも積極的に関わった。

 私生活では2021年1月に、個人事務所の社長を務めていた夫と離婚。前夫は個人事務所社長を退いた。同じ事務所に所属する歌手だった前夫と1978年に知り合った。前夫は歌手をやめ八代のマネジャーに転身。交際を経て94年に結婚し、27年にわたり公私ともに二人三脚で歩んできたが、別離を選択した。

 以下、事務所公式サイト発表全文。

 ファンの皆様ならびに関係者の皆様へ

 平素よりご厚情をいただき心より感謝申し上げます。

 2023年9月に膠原病の一種であり、指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と、急速進行性間質性肺炎を発症し、療養を続けておりました弊社所属の八代亜紀が、12月30日に永眠いたしましたことを謹んでご報告申し上げます。

 葬儀は八代自身の強い意思により、弊社スタッフのみで2024年1月8日に執り行い、とても穏やかな顔で旅立ちました。

 一日も早い復帰を目指し、治療とリハビリに励んでおりましたが、容態の急変により皆様へこのようなご報告をしなければならなくなりましたことは無念でなりません。

 代弁者として歌を歌い、表現者として絵を描くことを愛し続けた人生の中、常に大切にしていた言葉は「ありがとう」でした。

 「一人では何も出来ない、支えてくれる周りの皆様に感謝を」という父と母からの教えを、八代自身は体現し続けて参りました。

 療養期間中も傍で支えるスタッフや医療従事者の皆様に「みんなありがとう」と感謝を伝え、最期まで八代亜紀らしい人柄が滲(にじ)み出ておりました。

 これから先、いつまでも八代亜紀が命を吹き込んだ作品の数々がたくさんの人達に愛され、皆様の心の中に生き続けることを八代自身も望んでいると思います。

 後日にお別れの会を執り行いたいと思っております。詳細については、改めてご案内申し上げます。

 今まで応援してくださったファンの皆様、関係者の皆様に心より深く感謝、御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

 2024年1月9日 株式会社ミリオン企画

続きを表示

この記事のフォト

「美脚」特集記事

「STARTO ENTERTAINMENT」特集記事

2024年1月9日のニュース