ラブホに住んでた若手の頃の坂田利夫さん 朝ご飯で食べる鮭が辛すぎて高血圧で死にかけた!?

[ 2024年1月5日 19:22 ]

大阪を盛り上げる「大阪もんのうた」の制作発表会見に臨んだ坂田利夫さん(左)と間寛平

 昨年12月29日に82歳で亡くなった坂田利夫さんをしのんで、お笑いタレントの間寛平(74)が5日放送のBSよしもと追悼特別番組「坂田利夫師匠へ感謝のメッセージ あ~りが~とさ~ん!」で追悼メッセージを送った。

 吉本に入って54年間「ずっとかわいがってもらった」と話す寛平。坂田さんがほとんど寝たきり状態となってからも最後まで面倒を見続けた。

 芸人デビューしてから結婚するまで、毎日のように公私ともに坂田さんと過ごした。「部屋の借り方がわからん」こともあって、毎日5000円払って坂田さんともう1人の先輩の3人でラブホテルに3年間過ごしていたこともある。「ラブホテルのおばちゃんが朝ご飯作ってくれるんやけど、ごはんと卵焼きと、からーい鮭。ホンマ、めちゃめちゃ辛いんです。だから坂田兄さんが血圧上がって死にかけたんですわ」と笑いながら振り返った。

 その後、結婚した寛平は三角公園近くのマンションで新婚生活を送り、坂田さんも同じマンションに住むようになった。当時、寛平は大変な借金を抱えており、吉本新喜劇の舞台が終わっても営業に出ていた。夜遅くに帰ると、坂田さんが寛平の部屋で夫人の作った夜ご飯を食べていたこともしばしば。坂田さんは「マンションの1カ月か2カ月分くらい、いつか払うわ」と機会あるごとに伝えていたが「結局払わんままに逝ってしまいました」。

 亡くなる瞬間は悲しいというよりも感心した。「本当にきれいな顔をしてましたね。亡くなるときの瞬間の顔なんて、ものすごいエラいさんに見える。大富豪みたいな顔に見えた。アホのサカタやないなーと思って。そっちの世界でみんなを笑わせてるんやろね」としみじみ語った。

 本当はあの芸を継ぎたいという寛平。「ただね、あのダンスがでけへんのですよね。どうやっても無理。やっぱり二度と坂田大先生のような芸人さんは出ないと思いますわ。あーりがーとさーん」と坂田さんのギャグで締めくくっていた。

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