【Travis Japanと一問一答】松田元太 ファンは「8人目のメンバーで大事な存在」

[ 2023年3月13日 04:00 ]

ファンを魅了するTravis Japan(撮影・沢田 明徳)
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 Travis Japanが12日、横浜市のぴあアリーナMMで、デビュー後初の全国ツアーの最終公演を行った。全世界配信デビュー曲「JUST DANCE!」など全38曲を歌唱。持ち味の切れ味のあるダンスも披露し、1万人を魅了した。

 川島如恵留「もうこれはもうみんなが口をそろえて言うと思うんですけども、ファンのみんなに会えたのが何よりもパワーになりました。今回セットリストを僕ら史上一番踊るライブで、全く踊ることをやめないっていうテーマで作った。踊ることをやめない中でも、やっぱりファンの皆様の声援のおかげで最後まで走り切ることができてすごく幸せ」

 松田元太「ファンのみんなにちゃんと直接会えて一緒の時間を過ごせたっていうのが何より一番の幸せだなと本当に実感できました。Travis Japanがアメリカで学んできたことだったり、グループならではの出せる味やパフォーマンスもそうですけど、7人がそろったときのハッピー感が伝わってたらいいなって思いながら楽しくやらせていただきました」

 松倉海斗「デビューツアーということで、何よりも今まで応援してくれてきたファンの皆さんに感謝の気持ちを届けられたらなという思いで、ステージに立った。僕らが活力やパワーを与えたい側なのにパワーをいただいた。とてもファンとのきずなを感じたコンサートでした。あと、“踊りを止めない。ひたすら踊り続ける”っていうのが裏テーマでありまして、オープニングで1人1人が自己紹介とかやってる後ろで6人が踊ってたりとか、常に踊っている状態で僕らの武器であるダンスを見せれたらいいなと、必死に踊っている」

 吉澤閑也「すなおに楽しいライブ。改めて声出しがOKになって、ファンの方々の声を聞けるのが凄い自分たちのパワーになる。ダンスを踊るにも体力が必要。その体力がつきそうになってもファンの皆さんの声でめちゃくちゃ体力が戻ってくる。一緒に楽しんでるなってすごく実感してます。あと個人的にはやっぱWOD(ダンスの世界大会。吉澤は休養中で欠場)をメドレーで改めて踊ることができた。僕は映像でしか(ダンスを)見られてなくて初めてツアーで踊らせていただいたので、改めてメンバーの凄さ、ファンの方の力を感じた」

 七五三掛龍也「本当にファンのみんなに直接会えたっていうのがまずうれしい。僕個人として事務所入って約14年、ずっとデビューコンサートをするっていうのを夢見て走り続けてきた。やっとその夢がかなったっていうのが本当にライブをしていて強く思いましたね。あとはファンのみんなにただいまって言えたのが一番うれしかったです」

 中村海人「僕たちは去年留学していてコンサート自体も1年半ぶり。やっぱりワクワクや楽しみが凄くいっぱいあった。でもこの(留学してからデビューまでが)7カ月間って凄くファンの方にとっては長かったとは思うんですね、会えなかったですし。みんなもいつ帰ってくるのかなとか思ってたと思う。でも俺はこの7カ月間っていう時間がすごく短いと思う。ありがたいことに、自分たちでつかみ取ったものもありますし、ファンの人が僕たちのことをずっと応援してくれたおかげで、デビューが7カ月目だった。こうして早く会えて、すぐコンサートができたっていうのは凄くうれしい。声(観客の声援)も出てるのでやっぱりファンの人がいて俺らなんだなって、支えてもらってるんだなって改めて強く思いました」

 宮近海斗「『THE SHOW』というタイトル、そしてサブタイトルが『ただいま、おかえり』。『THESHOW』と決めたのは7人俺らしいライブを考えたときに、いろいろ学んできたものを消化させてショーテイストにも見せれるし、俺たち唯一無二のものをやろうよってなった。そしてデビューを僕らが知らされた動画があるんですけど。その動画の後ろで流れてたのが『The Show』だったので、タイトルをつけた。そしてサブタイトルについては、俺らが帰ってきて初めて会える現場で、「ただいま、おかえり」というのは俺らが“ただいま”って言ってもファンの人がいないと“おかえり”って成立しない。7人だけで走ってたら完成しないので、感謝を詰め込んだ。そしてデビューした先が大事なんで、俺らのこれから先で楽しみにしてるものを見せるためにも、俺たちの今進化してきたものを踊りをやめないパフォーマンスで見せようっていう二つのテーマが入っている。メンバーみんな結構体酷使してるんですけど。もっともっと羽ばたいていきたいっていうデビューして全員が持った気持ちを込めたライブになっています」

 ――デビューまでを振り返るといかがですか。

 川島「決して寄り道はしてなかった。TravisJAPANのターニングポイントがたまたまこの時期だった。自分たちは無駄なことは一つもしてなくて、全部自分たちに必要なものをかき集めて、いつかジャニーズ事務所の誇れるタレントになろうと思って努力というか、いろいろ継続をしてきた。その中の一つの選択肢に米国留学があって、米国の中でいろいろ学んだこともそうですし、帰ってきてからまた学んだことも詰め込んだのが今の僕たち。見る人によっては遅咲きって見えるかもしれないんですけど、僕たちはもうそういうことは一切気にしてない。Travis Japanというエンターテイメントをより良いものにするために、1人1人が力を持ち寄ってやってるんだなって思ってやってます」

 松田「それに伴ってファンのみんなもしっかりずっとついてきつづけてくれた。俺たちが米国行っても、今Instagramだったり、TikTokだったりいろんなSNSを通してコメントなど直接声をいただけるときもいただけるので、僕たちの何か源になっている。本当に欠かせないというか本当8人目のメンバーで大事な存在」

 七五三掛「悔しいからそこでストップするんじゃなくて、自分たちが諦めなかったから今がある。デビューすることができて諦めないことの重要さをすごく知った」

 ――オープニングで着ていたタキシードは、米国留学に出発する前に滝沢秀明氏から贈られた“滝シード”とのことですが、そのタキシードを着ようというのはみなさんの発案?

 宮近「リムジンって言ったらね、シード着てレッドカーペットを歩きたいよねってなった」

 川島「“大事なタイミングでこのタキシード使ってね”って餞別(せんべつ)でいただいたもの。契約調印式のときに着させていただいた。デビューコンサートもめちゃくちゃ大事なので、着ました」

 ――タキシードで踊れるんですね!

 川島「ちょっと工夫して踊れる仕様になってます」

 ――留学の時に送り出してくれたファンと初めて今回のライブで顔を合わせたときの思いは?

 吉澤「ずっと待っててくれるって、相当強い思いがないとできないこと。僕たちもすごい会いたかったのでめちゃくちゃぐっときた。『Together Now』とか一緒に歌ってくれて、泣いてくださる方がいたり。めちゃくちゃファンの方に愛されてるっていうのを感じましたし、なんかよりもっと愛したいなって、なんか純粋な愛を、Travis Japanからもっと贈りたいなって思いました」

 松倉「デビューおめでとうってうちわや、おかえりってうちわを見かけると、本当にこのデビューライブに立ててすごくうれしくて幸せだなって改めて感じる瞬間」

 ――ライブをしてみて改めて留学の7カ月間で進化したことは?

 川島「アイコンタクトの数が増えたね。ハイタッチしたりグータッチしたり」

 松倉「ダンスコンテストを経験したっていうのも結構でかい。それこそ僕らはアメリカメドレーって米国の決勝で6分間ずっと踊っているナンバーがあって、結構バテバテなんです。それでもメンバーと目が合ったりするとめちゃくちゃパワーもらえる。多分それを経て、進化したのかなと感じますね」

 松田「シェアハウスをずっと7人でしていて、男子というかもう成人男性だと思うんですが、その7人が1つ屋根の下で暮らしてやっぱ気遣うことも1人1人それぞれが会ったと思う。その言葉にその時出せなかったものが、何かこう、パフォーマンスを通してちょっと柔らかくなる瞬間も感じた。それが悪いとかではなく、それがグループをもっとよりよくさせた。なんかどんどんグループの芯が強くなってきて、武器が増えてる感じがステージに一緒に立ってて強い」

 七五三掛「パフォーマンスするときにめちゃめちゃ楽しむっていうのをアメリカで学んだ。留学に行って最初の方、僕たちはあまり英語がしゃべれないけど周りは英語しかなかった。だからダンスレッスンで顔の表情だったり、動きでとにかく楽しんでるっていうのを出すしかなかった。そのおかげでなんか今自分たちがライブでパフォーマンスしてて、もう世界で一番楽しんでるっていうのをすごく感じる」

 ――トラを模したトロッコならぬ“トラッコ”。松田さんの発案とのことですが。

 松田「なんでトラになったんだっけ、そもそも」

 川島「それはあなたじゃない」

 松田「そうだっけ」

 川島「あなたが虎に乗りたいって言ったから。最初に何かトラッコだけを思いついた。その虎をどうしようかっていうところはもうみんなで形をいろいろああでもないこうでもないって話し合って最終的な形になった。(元太が)ずっと打ち合わせのときから“取材日にトラッコって言いたいんだ”って言ってた」

 ――会場を巡ってみていかがでしたか。

 松田「いやもう、あれっすよ、草原走ってる感覚です。ペンライトの海をどこまでも駆け抜けてる感覚です。世界広いぞっていう世界まで走り抜けるぞって」

 ――和なものも演出に取り入れられていましたが。

 宮近「我々WODに2回出たんですよ、予選と本選。そこでやったパフォーマンスがどちらもまずベースの曲が和。和の要素に食いついてくれる人が多くて、そこにすごい自信を持てた。今回いろんなショーに分けて見せるって形だったので、僕らが1からアプローチする中で和っていう部分にトライしてみようっていう話になって、僕らがいろいろ学んだ中でどう和を表現するのか今回のライブでみんなで探りながらショーにした」

 川島「僕、ジャニーズって日本の文化だと思ってる。だから、米国に挑戦して米国に留学して挑戦したことのある初代ジャニーズさんと少年隊さんの曲は絶対にセットリストに入れたいっていうのをちょっと強く思っていた。3グループをメドレーでできるようにっていう形で『Never My Love』と『君だけ』にをパフォーマンスさせていただきました。坂本九さんの『上を向いて歩こう』も全世界でビルボード取ってますから一位を。我々もレーベルメイトとしてもこの曲をカバーさせていただきたいなという思いでした」

 ――ライブ中に日本のWBC準々決勝進出が決まりました。

 松倉「ちょうど帰るとき、(オーストラリア戦が)6回裏ぐらいなんすよね、多分。楽しみ」

 ――皆さんと同じく世界一を目指している。どなたかエールをお願いします。

 中村「僕野球やってましたね」

 松倉「僕も2年間だけ(やってました。)ベンチでした。2年間」

 中村「僕が子供の頃もWBC見てました。日本ってスポーツ全般強いですけど、僕は小学1年生から6年生まで野球をやってたのでやっぱり野球にWBCで日本が1位を取るたびにうれしかった。“俺もいつか野球選手になって、世界のあの舞台に立って俺もこうやってなりたいんだ”って思ったんですね。そしたら今、自分たちも世界に挑戦できる切符を持った。なんならもう少ししたらもしかしたらつかめるかもしれない。ぜひこのまま走り抜けてもらって、てっぺん取ってもらい、それにあやかって俺らもてっぺん取っちゃって、野球選手たちと一緒に何か(デビュー曲の)ピロブンダンスとか一緒にやってみたい」

 七五三掛「僕も小学校のころ野球をしていて、よく小学校の頃はお父さんとWBC見に行ってていた。LA留学中とかも、海外の方に日本人で知っている人を聞くとやっぱり大谷(翔平)選手なんですよ。それだけ世界で今、活躍されてて有名になってるっていうのを知って、いつか自分たちもこうなりたいと思った。僕たちも一緒に何か盛り上げていけるような活躍もしたいですし、やっぱ全力で野球を応援したい」

 ――川島さんは94年生まれで大谷さんと同学年ですよね。

 川島「大谷さんと同い年ですし、(フィギュアスケーターの)羽生結弦くんも同い年です。同世代の活躍ってすごいなって思う。僕もすごいなと思われたいですね、やっぱり。めちゃくちゃいろんな人に勇気や感動を与えてるじゃないですか。点数取られても取りゃ勝てるんですよ、今どんなに傷ついたとしても最終的に勝てるぐらいやっぱ自分でグイグイ攻めていくことって大事だなって思って、そこで勇気をもらっている。点数とられてもいいからとってくれ!って思って応援していますね」

 ――今後のグループの世界に向けてのビジョンは?

 宮近「まだプランニング中ですが、ビジョンとしてはやっぱり向こうに身を置くとかどこに身を置くではなく、音楽って今もネットでリーチできる時代になった。音楽って届きやすいですし、だからこそ僕らも今できること、勉強を重ねて俺らが誇れるものを、いろんなところにアプローチかけていきたい。それはアメリカしかりいろんな国、どこもアジアやアフリカなど関係なく俺らの作品を広げてった先でまずは何が起こるかっていう挑戦をしていくために今準備をしてます」

 ――将来的な夢は?

 川島「ビルボード1位です」

 中村「グラミー賞でノミネートされて取ることです」

 吉澤「ワールドツアーやりたいですね」

 川島「一気に世界を獲るってことは難しい。何事もそうだと思うんで一つ一つ積み重ねていきたいですし、日本でも当たり前のように1位獲れるようになってアジアで獲れるようになって、ヨーロッパでも…と一歩一歩着実に進んでいけるようにしたい。不器用なので飛び級はできないグループ。でもしっかりとコツコツやっていくことが得意なので、そこを伸ばしていけたらなと思っております」

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