樹木希林さん 20代から老け役 貫いた独自の姿勢「かわいげなくて結構」

[ 2018年9月17日 05:30 ]

死去した女優の樹木希林さん
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 樹木希林さんは高校卒業後の1961年に文学座研究所に1期生として入所。同期には小川真由美、草野大悟、寺田農、岸田森がいた。元々は親の助言で大学の薬学部を目指していたが、受験直前に行ったスキー旅行で骨折したため断念し、1期生募集が3月にあるのを知り、約25倍の難関をくぐり抜け芝居の道へ進んだ。

 悠木千帆の芸名で65年に正座員となったが、翌66年に退団。「寺内貫太郎一家」など20代の頃から老け役が多く、人気を得た作品はほとんどが老け役で、実年齢より20歳年上を演じることもあった。

 71年にフリーとなってからは事務所には所属せず、マネジャーもつけずにスケジュール管理も全て自分で行っていた。

 取材も自宅に招くことが多く、インタビューを受けながら手にした袋から駄菓子などを取り出し「あなたも食べなさい」と記者に配ったり、終了後にそのまま食事に連れていくこともあった。気配りを忘れず、常に自然体。決して飾ることなく、ユーモアに満ちたサービス精神旺盛なトークでも多くの人を魅了した。「ムー一族」(78年)の打ち上げの席で、演出の久世光彦氏のスキャンダルを暴露するなど、歯に衣(きぬ)着せぬ発言で批判を受けることもあったが、「かわいげなくて結構」などと独自の姿勢を貫いた。自身の発言には「かまわないわよ。私が言ったんだから」と訂正などを一切しない責任を持つプロフェッショナリズムの持ち主。関係者によれば、酒は飲むが薬は飲まなかったという。

 05年に乳がんの手術で右乳房を全摘出した際も、治療の詳細には触れなかったが「私は変人だから、傷痕が気になるとかは一切ない。Tシャツを着た時に邪魔だなと思っていたくらい」と笑い飛ばすなど豪快な一面も持ち合わせていた。

 最近の雑誌のインタビューでは「芝居の傾向が違うから私は出会わなかったけれど、高倉健さんとちゃんとやってみたかった」とささやかな夢も明かしていた。

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