愛弟子・藤原竜也が追悼コメント「僕を生んでくれたのは蜷川さん」

[ 2016年5月14日 06:30 ]

蜷川さん追悼コメントを寄せた藤原竜也

 世界的な演出家の蜷川幸雄さん(享年80)が肺炎による多臓器不全で亡くなってから一夜明けた13日、愛弟子だった俳優の藤原竜也(33)が「僕を生んでくれたのは蜷川さん」と追悼のコメントを寄せた。芸術監督を務めていた彩の国さいたま芸術劇場(さいたま市中区)には献花台と記帳台が設けられ、ファンが別れを惜しんだ。蜷川さんの遺体はこの日夕方、都内の自宅に戻った。

 「最期に会えて良かったです。僕を生んでくれたのは蜷川さんです。たくさんの演劇人生をありがとうございました。真面目に突き進んでいきます」

 蜷川作品に出演した俳優の多くが12日にコメントを出す中、藤原はあまりのショックに、その日のうちに心境を語れなかった。所属事務所の関係者は「文面の短さから、彼の心情を察してやってほしい」と話した。

 事務所によると、亡くなる前日の11日、入院先の病院を見舞った。急に仕事がオフになったため訪ねることできたという。蜷川さんが自らの最期を悟り、自然と呼び寄せたのか。藤原は恩師の手を握り、感謝の気持ちを伝えた。

 芸能界入りのきっかけが蜷川さんだった。中学3年だった1997年5月、買い物先の東京・池袋で偶然受け取ったのが、蜷川さん演出の舞台「身毒丸(しんとくまる)」の主役オーディションのチラシ。「蜷川」の名前も知らなかったサッカー少年が、5537人の頂点に立った。

 同10月、ロンドン公演で主演デビューすると、蜷川さんも「30年に一度の天才」と絶賛した。それからというもの、厳しい指導に耐えながら「ハムレット」などのヒット作をともに作り上げた。深い信頼の師弟関係で、「僕の細胞の6、7割は蜷川さんでできている」と言うほどだった。

 また「海辺のカフカ」(12年初演)に出演した俳優の柿沢勇人(28)も「芝居を変えてくれた人です」としのんだ。この日、都内で主演ミュージカル「ラディアント・ベイビー」の稽古を公開。終了後、蜷川さんの指導を「いわゆる1000本ノック」と振り返り、「この野郎!ブス!下手くそ!って言われて、40度の熱が出ることもあった。それでも食らいついて、(15年に)世界公演が成功したとき、“お前、本当に良い役者になったな”って言われたことが、凄い励みになりました」と涙ぐんだ。

 蜷川さんの通夜は15日、葬儀・告別式は16日、東京都港区の青山葬儀所で営まれる。

続きを表示

この記事のフォト

「美脚」特集記事

「騒動特集」特集記事

2016年5月14日のニュース