【昭和の甲子園 真夏の伝説(6)】「史上最強」のPL戦士 KKでもできなかった春夏連覇達成

[ 2022年8月6日 07:00 ]

甲子園春夏連覇を決め、宿舎で乾杯する立浪和義主将(前列左)、片岡篤史(後列右から2人目)らたPLナイン
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 甲子園の熱い夏が始まった――。第104回全国高校野球選手権が6日に開幕。幾多の名勝負が繰り広げられた聖地で、今年はどんなドラマが生まれるのだろうか。今回は「昭和の甲子園 真夏の伝説」と題して、今も語り継がれる伝説の試合を10回にわたってお届けする。

 昭和の高校野球で「最強」と称されるチームがある。1987年(昭和62年)春夏連覇を果たした大阪・PL学園。立浪和義主将(現中日監督)を中心とした打撃陣と野村弘(本名=プロ入り4年目から弘樹・元横浜大洋)が軸となった投手陣の融合で他校を圧倒した。ベンチ入りメンバーからドラフト1位2人、同2位2人、同3位1人の計5人のプロ選手を輩出。うち2人が名球会入りしている。盤石の強さで史上4校目の偉業を成し遂げたチームだが前年秋、大阪大会の準決勝で敗退。かろうじて近畿大会の出場権を得た“あやふやな世代”だった。

~連覇をかけた運命の初戦 相手はセンバツ完全男~

 あの清原・桑田のKKコンビで全国制覇を果たしてから2年。夏の甲子園にPLの「優勝校歌」が流れた。

 KKでも成し得なかった春夏連覇を目指して乗り込んだ聖地。PLは強かった。

 1回戦は開会式当日の第2試合。中央(現中央中等教育学校=群馬)は初出場の県立校だったが、指揮を執るのは78年のセンバツで前橋高のエースとして甲子園史上初の完全試合を達成した松本稔監督。PLは初回、立浪主将のタイムリーであっさりと先制した。ところが完全試合男の甲子園初采配を期待するスタンドの異様な空気に圧されたのか追加点が奪えない。5回先発の野村がバント処理をミスするなどピンチを招き、中島義久に右中間三塁打を浴びて逆転を許してしまう。PL・中村順司監督はここで橋本清(元巨人)をリリーフに送り、しのいだ。5回が終わって1―2。だが、PLがこの大会リードを許したのはこのときだけだった。6回、5番・深瀬猛の中前に落ちる安打で同点とすると8回には5安打を集中し一挙5点。初戦を突破した。
 
~3イニング連続2ラン 2億円軍団の進撃~

 2回戦は九州学院(熊本)相手に初回から3イニング連続で立浪、尾崎晃久、深瀬の3本の2ランで圧勝。3回戦も初回、深瀬の2戦連発となる3ランで主導権を奪い高岡商(富山)を蹴散らした。

 この大会のPLはプロ注目の選手が多く「2億円軍団」とも称された。野手では3番の立浪。この年の秋に中日からドラフト1位指名を受け、88年新人王。通算2480安打で名球会入りしている。4番の片岡篤史(現中日2軍監督)は同志社大を経て91年日本ハムから2位指名を受けた。2、3回戦でホームランを連発した深瀬は春のセンバツで4番。「清原2世」として注目を浴びていた。投手陣も豊富なタレントが揃っていた。背番号「1」左のエース野村はセンバツで全試合に先発。この秋のドラフトで横浜大洋(現DeNA)から3位指名を受け、プロ101勝を挙げている。右の速球派・橋本は巨人からドラフト1位指名を受けた。3本柱のもう1人、岩崎充宏は春3試合に救援し、防御率0・00の好投手。巨大戦力が評判に違わぬ力を発揮し進撃した。準々決勝は過去2度の全国制覇を成し遂げた千葉の習志野。橋本が初先発初完投。11安打の援護もあって快勝。ベスト4に駒を進めた。
 
~前年秋の大阪大会は3位 近畿大会も絶体絶命から~

 大本命として夏を戦うPLだが、道のりは平坦ではなかった。1986年8月1日、PL学園は大阪大会準決勝で泉州(現近大泉州)に敗退。その瞬間、夏甲子園連覇、大阪大会4連覇、7季連続甲子園の夢がすべて砕け散り、立浪主将率いる新チームは「一から」のスタートとなった。センバツへの一歩とな
る秋季大阪府大会。PLは準決勝で大商大堺と対戦した。大商大堺は甲子園出場はないが野球部強化の途上。中学卒業時、立浪らも勧誘を受けていたという。夏の大阪大会ではPLに勝った泉州に決勝で敗れたものの、戦力は充実していた。エースは前田克也。秋の大阪大会5試合をすべて完封勝ち。PLとの決戦に備えていた。

 準決勝、PL打線は前田を打てない。終わってみれば0―2の5安打零封負け。センバツ出場のためには「最低条件」である近畿大会への出場権は3位決定戦に持ち越された。余談だが過去春夏連覇を果たしたチームで秋の都道府県大会で敗戦経験があるのはこの年のPL学園だけだ。PLは3位決定戦で東海大仰星(現東海大大阪仰星)に勝ち近畿大会出場権をようやく手にする。

 当時のセンバツ選考では近畿から概ね6校程度が選出されていた。「当確」を得るためには近畿大会で4強を確保する必要があった。「運命の準々決勝」その相手がまたも大商大堺だった。負けられない一戦。だが前田を打ち崩せない。3回、先発の野村が捕まり2点を失う。4回に1点を追加される。その裏2点差とするが、5回に2点を奪われ1―5。絶体絶命の窮地に追い込まれて「逆転のPL」のスイッチが入った。5回裏に2点。6回には3点を奪って逆転。橋本で逃げ切った。立浪は春夏連覇達成時に「あの試合から自主練習が多くなった。みんなが本当に1つになろうとした」とこの準決勝がターニングポイントだったことを明かしている。

~センバツ準決勝延長14回を制し頂点へ~

 センバツは順調に勝ち進み準々決勝は帝京・芝草宇宙(元日本ハム)を打ちあぐねた。1点リードの9回に追いつかれ延長へ。11回長谷川将樹の一打でサヨナラ勝ちした。準決勝も延長14回東海大甲府(山梨)との死闘を制した。決勝は関東一(東京)に圧勝。3度目の春を制した。

~主砲を欠いた決勝戦 代役は名球会入りの名手~

 87年夏準決勝は帝京との再戦となった。芝草は2回戦・東北(宮城)戦で夏20人目のノーヒットノーランを達成していた。だがPLには勢いがあった。立浪の先制2ランなどで圧勝した。決勝は開校5年目初出場Vを狙う常総学院。指揮官は3年前、取手二を率い2年生のKKコンビの夏連覇の夢を打ち砕いた木内幸男だった。

 8月21日決勝。PL学園のスターティングメンバーに主砲の名前がなかった。2、3回戦で連続アーチをかけた深瀬。準々決勝の習志野戦で一塁に帰塁する際に右肩を亜脱臼。帝京戦では先発したものの試合途中で退いていた。代わりに決勝のスタメンに名を連ねたのは2年生の宮本慎也。後に同志社大―プリンスホテルを経てドラフト2位でヤクルト入団。名球会入りする。

 主砲のリタイアでもPLは動じない。初回島田直也(元横浜など=現常総学院監督)を叩く。深瀬に代わり5番に入った長谷川の中前打で1点を先制。その裏、常総は1死三塁。打席は仁志敏久(元巨人など=現DeNA2軍監督)。大舞台で3番に入った1年生の打球は三塁手・宮本へ。無難にさばきピンチを脱出した。宮本はその直後の2回、三塁打を放ち追加点のお膳立てをしている。

~中村監督 84年夏決勝で敗れた木内監督にリベンジ~
 
 3点リードの9回無死一、二塁。岩崎は2連続三振で2死とすると最後は遊ゴロで締めた。偉業達成。クールな立浪が号泣。深瀬は泣きながらナインの手で宙に舞った。

 木内監督へのリベンジを果たした中村監督は「意識しなかったといったらウソになる」と口元を緩めた。PLの3年生は全部で17人。春夏の甲子園で17人全員がグラウンドに立った。立浪主将は「3年生全員が力を合わせてやってきた。全員の勝利。僕は普通のキャプテンです」。2億円軍団の全員野球で昭和最後の春夏連覇。PL学園はやっぱり最強だった。

~「全日本」に芝草、鈴木健ら 選外では斎藤隆、盛田らも~

 〇…大会後、米西海岸・ハワイ遠征メンバーが発表された。投手ではPL・野村、帝京・芝草、常総学院・島田の他、この年の秋のドラフト、3球団競合で広島に1位指名される東亜学園の川島堅。野手ではPL・立浪や2回戦で尽誠学園・伊良部秀輝の前に完敗した浦和学院・鈴木健(西武1位)らが選ばれた。この大会に出場し後にプロで活躍した選手では東北の「5番・一塁」で出場した斎藤隆(現DeNA1軍投手コーチ)。東北福祉大で投手に転向し91年ドラフト1位横浜大洋入り。日米通算112勝、139Sを記録した。この年の秋に横浜大洋に1位指名された函館有斗(現函館大有斗)の盛田幸妃。同じくロッテに1位指名され日米通算106勝27Sの尽誠学園・伊良部もいる。2年生にも逸材が豊富。江の川(現石見智翠館)の谷繁元信は翌88年横浜大洋1位。3021試合出場のプロ野球記録。2108安打で名球会入りしている。静岡の赤堀元之は翌88年ドラフト4位で近鉄入り。最優秀防御率(1回)最優秀救援投手(5回)のタイトルを獲得した。

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