広澤克実氏 侍JAPANの金を祝福「勝つべくして勝った」 将来はWBCとの「すみ分け」提言

[ 2021年8月7日 00:15 ]

東京五輪第16日 野球決勝   日本2―0米国 ( 2021年8月7日    横浜スタジアム )

広澤克実氏
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 野球日本代表の37年ぶり金メダルを前回1984年ロサンゼルス五輪(当時公開競技)で金メダルを獲得した広澤克実氏(59=本紙評論家)が「母国開催の期待に応え、勝つべくして勝った」と祝福し、将来に向けてはWBCとの「すみ分け」を提言した。

  
 見事な優勝だった。日本は実力でも他国に勝っていた。勝つべくして勝った、堂々とした金メダルと言える。母国開催の重圧をはねのけ、期待に応えた戦いに拍手を送りたい。
 この8月7日は37年前、ドジャースタジアムに日の丸があがったのと同じ日付だ。
 
 84年当時、私たち日本代表への期待度は低かった。前年のアジア予選に敗れ、キューバのボイコットで巡ってきた補欠出場だった。6月末に編成されたメンバーは大学生7人、社会人13人、平均年齢22・5歳の若いチームだった。
 
 韓国に宣銅烈(ソン・ドンヨル)、台湾に郭泰源と後にプロで活躍する剛腕がいた。五輪前にあった日米大学選手権で1勝6敗と完敗していた米国は20人中16人が大リーグドラフト1巡目指名を受け、マグワイア、ラーキン、クラークなど後の大スターが並んでいた。その3チームを破ったのは奇跡だったと言えるだろう。
 
 実力不足を補ったのは日本独特の「和」の精神だ。7月25日、米国滞在中の学生と渡米してきた社会人がロサンゼルスで合流した日、松永怜一監督は「親善試合じゃないぞ。日本のために必死になって戦おう」と訓示した。皆に誇りと責任感が芽生えていた。

 決勝戦の前、地元の大観衆と大歓声や明るい米国選手を横目に松永監督は「緊張しろ」と言った。「世の中には緊張したからできることもある。君たちはできる」

 神の声に聞こえた。緊張してもいいんだと思えば地に足が着き、ただ集中することを心がけた。この言葉を基に得た金メダルは後の人生でも生きている。

 当時とは異なり、今回の日本は個々に技も力も優れたトッププロの集団だ。稲葉監督の言う「結束」もあった。この経験は後の人生に必ず生きると信じている。彼らが将来、指導者となった時に生かしていってほしい。

 今回は公平にみて実力通りの結果だったと言える。米国もドミニカ共和国も現役大リーガーはいなかった。

 次回24年五輪で野球は除外されている。28年五輪での復帰を望むなか、思うことがある。五輪ではたとえば22歳など年齢上限を定めたうえ、若手やアマチュアの舞台としたい。トッププロはWBCで世界一を争うとすみ分けられれば……と願っている。 (本紙評論家)

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