【内田雅也が行く 猛虎の地】米田哲也、星野仙一を見つめた老球場68年の歴史に幕

[ 2020年12月11日 11:00 ]

(11)米子市営湊山球場

「ありがとう湊山球場」の横断幕が掲げられた(2020年9月20日)=橋谷建治さん提供=
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 今年秋、山陰の球史を彩る舞台だった米子市営湊山球場が68年の歴史に幕を下ろした。開場は1953(昭和28)年。米子城跡三の丸に位置し、右翼席に印象的な石垣が残る。市の城跡保存・活用計画に沿って9月22日限りで役目を終えた。

 西宮市に住む橋谷建治は閉場の知らせに胸が騒いだ。米子で生まれ、少年時代は遊び場、グラウンドがない米子西高時代は練習場だった。入学当初は硬式野球部がなく、仲間と学校にかけ合って作った。最後の夏を終えた場所でもある。

 「思い入れが深く、せめて最後の姿だけでも目にとどめておこうと思った」。記念事業「ありがとう湊山球場」で一般開放される9月20日の日曜日、球場に向かった。52歳の誕生日でもあった。

 99年に他界した橋谷の父・肇は米子東高野球部のマネジャーだった。後に早大―巨人―広島と進む宮本洋二郎を擁した60年春の選抜メンバーだ。決勝戦サヨナラ本塁打で敗れたが、春夏を通じ山陰勢唯一の準優勝として今も輝く。市の球場写真提供の呼びかけに、遺品のアルバムを見返した。

 60年9月23日には米子東高の「優勝旗祭」が開かれていた。センバツ旗と選抜準優勝旗を含め各種大会で得た6本の旗が続いた。後方に米子製鋼所の煙突が見えた。

 また同年夏、甲子園スタンドでの1枚には旧制米子中時代のOBで阪神―毎日と強肩強打の捕手で活躍した土井垣武がうつっていた。監督・岡本利之の著書『白球と共に』によると当時、朝日放送野球解説者だった土井垣は対戦相手の戦力分析など陰で支えていた。

 橋谷も協力し、市が作成した展示パネル「湊山球場のあゆみ」にはプロ野球開催の記録がある。セ・パ公式戦6試合の地元紙記事があった。

 阪神は55年8月3、4日に国鉄2連戦を行っている。3日は金田正一に牛耳られ、渡辺省三が終盤つかまって1―5で敗れた。6連敗だった。

 平日昼間だが観衆8000人の大入り。このなかに当時、境高3年生の米田哲也がいた。阪急入りし、歴代2位の通算350勝をあげる右腕である。底なしのスタミナから「ガソリンタンク」の異名を取った。

 「これならいけると思った」と『阪急ブレーブス 黄金の歴史』(ベースボール・マガジン社)で語っている。「渡辺省三さんは球が遅いし、カネさん(金田正一)は速いけどコントロールが悪かった」。プロでの手応えを感じたそうだ。

 甲子園経験はないが同期の米子東高・義原武敏(後に巨人)を見に来たスカウトの目に留まった。阪急、阪神、毎日、広島……と来た。慶大・日吉での練習に参加し進学を考えていたが阪急と契約した。だが阪神ファンの多い土地柄で後援者の説得から後に阪神とも契約する。二重契約で年末12月27日、阪急はコミッショナーに提訴した。

 年が明けた56年1月10日、甲子園球場で阪神若手(3年目以下)の合同練習が始まり、米田も参加した。翌11日、コミッショナー職務代行実行委員会から「問題解決まで練習禁止」を言い渡され故郷の米子に帰った。1日だけ着たタテジマユニホームの写真が残る。

 13日に就任した元最高裁判事、第2代コミッショナーの井上登が慎重に調査、2月13日、所属先は阪急と裁定を下した。井上は「欠陥のない契約行為が2つあったが、最初の阪急を優先した。本人の意思を調べるなど時間をかけた」と話した。

 米田は「どっちに行きたいと聞かれて阪急と。給料は安かったけど、背番号18をくれると言うんで」と語っている。阪神の背番号は41だった。

 大道文(本名・田村大五)は『新プロ野球人国記』(ベースボール・マガジン社)で<もし米田が阪神入りのままだったら>と思いをはせている。<重い速球で巨人打線を悩ませていただろう。(中略)歴史も違ったものになったはずだ>。

 米田は75年途中、移籍を志願。監督・吉田義男が熱心だった阪神と契約した。19年ぶりのタテジマだった。既に37歳だったが8勝をあげた。85年には投手コーチとして優勝に貢献している。

 さらに阪神関係で言えば、星野仙一が倉敷商高3年の64年7月30日、東中国大会決勝で米子南高に敗れ、甲子園への夢が断たれた。01年の阪神監督就任以降、いかに甲子園への思いが強かったかを語っている。

 湊山球場には汗も涙も染みこんでいた。87年限りで高校野球では使われなくなり、少年野球や軟式野球の舞台となっていた。90年には新たに米子市民球場も完成した。

 橋谷は「米子の野球少年には育ててもらった母親のような存在でした。老球場の最後はその永別のように万感迫るものがありました」と話し、「ありがとう」の横断幕を見つめた。 =敬称略=(編集委員)

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