都市対抗優勝のHonda・甲元GMが描く夢

[ 2020年12月11日 11:05 ]

都市対抗優勝時の本紙を持つHonda・甲元GM
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 今秋の都市対抗は、Hondaが11年ぶり3度目の優勝を飾った。Honda熊本はベスト8、Honda鈴鹿も初戦を突破とHonda勢の躍進が目立った。8強に2チームが残ったのは史上初の快挙だった。

 躍進の原動力となったのが、3チームの統括GMを務める甲元訓氏の存在だ。本田技研鈴鹿では選手として都市対抗優勝を果たし、引退後はHonda鈴鹿で監督を務めるなど豊富な経験を生かしたチーム強化で黒獅子旗を手中に収めた。 

 甲元氏が今でも鮮明に記憶に残っている光景がある。94年都市対抗で優勝したときの景色だ。その日は工場も休みとなり、職場の多くの仲間が東京ドームに駆けつけ、スタンドは満員だった。先発した甲元氏の好投もあり優勝。グラウンドもスタンドも一体になって喜んだ。「いまだに覚えている。そういう光景を思い描いています」と重責を担う男は言う。

 現・広島の長野らを擁し、果たした09年の優勝以降「強打のHonda」のイメージがついたが、2回戦を突破できない低迷期間が10年続いた。19年からGMに就任した甲元氏のミッションは強豪復活。「本来の持ち味が発揮できてない。チームカラーに新たな色を加えたかった」と20年は開田成幸新監督、プロ野球の世界で指導経験を持つ原井和也、木村龍治両コーチを招へい。故障を防ぐ体づくり、従来の強打とつなぐ野球の融合を目指した。

 都市対抗予選からチームに変化は出た。四球、進塁打、犠打が増えた「打線」で南関東を第1代表で突破。都市対抗本選も5試合で29得点。決勝では準決勝まで2失点のNTT東日本投手陣を攻略した。開田監督は「点と点が線でつながる野球を実践できた」と新しい野球を振り返った。

 優勝の瞬間、東京ドームのマウンド上で主将の福島投手を中心に歓喜の輪ができ、今年唯一の全国大会で日本一となったチームは喜びに浸った。スタンドで見守った甲元氏は「本当にうれしかった。河原井マネージャーらスタッフの支えもあり、成し遂げることができた」と笑顔を見せた。

 優勝、3チームの躍進と最高ともいえる結果を残したが、まだ目指すべきものがある。今年はコロナ禍の影響で上限1万人の入場制限があり、恒例の応援合戦もなかった。「チームは従業員の活性化、一体感を醸成するために活動している。1人でも多くの従業員にスタンドへ足を運んでもらい、あの瞬間をもう1度みんなで味わいたい」。球場が一体となる日が戻るまで、常勝Hondaをつくり続ける。

 ◆甲元 訓(こうもと・さとる) 1971年6月19日生まれ、兵庫県出身の49歳。小3で野球を始める。報徳学園中を経て、報徳学園では3年春にエースとして甲子園に出場。法大に進学後、本田技研鈴鹿では1年目にエースとして都市対抗優勝。97年に引退し、02年から04年までホンダ鈴鹿でコーチ、12年から18年までHonda鈴鹿で監督を務めた。19年からHonda、Honda鈴鹿、Honda熊本の統括GM。

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