巨人・吉川尚、プロ初サヨナラ打!背番「16」球が止まって見え…「やばいくらい速かった(笑い)」

[ 2020年9月2日 05:30 ]

セ・リーグ   巨人3―2DeNA ( 2020年9月1日    東京D )

<巨・D>9回無死満塁、吉川尚はサヨナラ打を放ちナインの手荒い祝福を受ける(撮影・森沢裕)
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 巨人は1日のDeNA戦を「川上哲治生誕100年記念試合」として開催し、選手、監督、コーチらチーム全員が永久欠番となっている背番号「16」のユニホームを着用した。試合は2―2の9回に吉川尚輝内野手(25)が右前へプロ4年目で初のサヨナラ打を放ち3連勝。原辰徳監督(62)は監督通算勝利数を1060勝とし、川上氏の球団歴代最多1066勝にあと6勝とした。

 打撃の神様と言われた川上氏はかつて「球が止まって見えた」と言った。30歳の時に「間」が自分のものになった感覚を言っている。プロ初のサヨナラ打を放った吉川尚はどうだったのか。

 「やばいくらい速かったです(笑い)」同点の9回無死満塁。エスコバーに5球連続直球を投げ込まれ156キロの剛球を引っ張る。「なんとか必死にボールに食らいつこう、バットに当てようと思った」。一、二塁間を破る。永久欠番「16」の歓喜の輪ができた。

 「ジャイアンツにとっては特別な日。その試合で勝てて良かった」と喜んだ吉川尚は、25歳。川上氏は同じ年の頃は第2次世界大戦中。陸軍少尉で、プロ野球を離れていた。同年終戦を迎えると故郷・熊本に戻って農業をし、翌年に現役を再開させることになる。

 戦前は3000~4000人止まりだった観客が、5000人を超えた。「赤バット」「弾丸ライナー」「史上初の2000安打」。戦後の復興の中、川上氏は希望の光だった。コロナ禍の今季は、復興初期と同程度の観客数で戦う。戦後に立ち直った不屈の精神は、現在のプロ野球にも受け継がれている。

 同じ左打者だが、吉川尚にとっては雲の上の存在。「打撃が凄かった方。2000安打などたくさんタイトルを獲られたV9時代の監督」と印象を語る。川上氏は51年シーズンの三振数はわずか「6」。ワンバウンドしたボールを空振りした時は「目から火が出るほど恥ずかしかった」と言ったという。13連戦初戦で今季2度目のサヨナラ勝利。打撃の神様が、少しだけ力を貸してくれたのかもしれない。(神田 佑)

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