阪神・矢野監督「球児の火の玉は本当に魔球」 指揮官として日本一の晴れ舞台を約束

[ 2020年9月2日 05:30 ]

03年4月11日の巨人戦で、9回裏、同点3ラン本塁打を浴び、星野仙一監督(中央)に励まされる藤川球児(左から2人目)。左は矢野輝弘捕手。

 阪神の矢野燿大監督(51)が1日、ヤクルト戦の試合前に藤川にメッセージを送った。現役時代にその手で受けた火の玉直球を「分かっていても打てないストレート。本当に魔球だと思っていた」と回顧。残りシーズンでの藤川の復活を期待し「球児がハラハラドキドキする場面を俺らがつくって、球児自身が投げるのが似合っている。ふさわしい場所を」と優勝、日本一の晴れ舞台を用意する決意を固くした。

 年齢はひと回り離れていてもバッテリーとして、監督と選手として、長く戦ってきた。2日ほど前に直接、報告を受けたという。藤川は昨春も球団に現役引退を申し出ており、指揮官も折に触れて話を聞いてきた。

 「その都度話はしています。自分を振り返っても40歳、しかも球児は抑えというすごく体に負担のかかるところでやっている。残してきた実績もすごい。逆に、引退もどこか頭をよぎるのは自然なことだと思うので。その時に思っていることは伝えてきたつもり」

 現役時代の思い出に挙げたのが、03年4月11日の巨人戦で喫した同点3ランだ。

 「後藤(現野手総合コーチ)に9回3点差で勝っているところで、東京ドームで2アウト、2ストライクで打たれた。あそこから球児の伝説がスタートしたのかなと」

 1軍に定着し始めた、当時22歳の若武者が浴びた洗礼だった。その悔しさを糧にグングン力をつけ、05年から無敵のバッテリーを結成。「球児の代わりはいないんで。僕も捕手をやりながら、最後の抑え方までこだわった」。現監督にとっても唯一無二の存在だった。 (山添 晴治)

 【チーム内外から集まった阪神・藤川への惜別コメント】
 ▼阪神・平田2軍監督 最初は線の細かった球児が球界を代表するピッチャーになった。メジャーまで行って、タイガースの「勝ち」をずっと背負ってきた。

 ▼阪神・安藤2軍育成コーチ ずっと一緒にやってきた仲間。急な引退でびっくりしたけど、よくやったんじゃないかなと思います。あれだけの真っすぐを投げられる選手はいない。すごくうらやましい部分もあった。『お疲れさま』と言いたい。

 ▼オリックス・杉山直久1軍マネジャー(同学年で阪神時代のチームメート) 寂しいですよね。たくさん助けられましたからね。投手の心理、配球とか、僕にはないほどの豊富な量を持っていた。松坂に勝った時(2005年)も、7、8、9回はJFK。あれがあったから、僕はいまだに「松坂に勝った試合、見てました」と声を掛けてもらえます。

 ▼ロッテ・鳥谷(昨季までチームメート)本当にお疲れさまでした。マウンドでの投げている姿で、タイガースにいい影響を与え続けてこられた方。まだ今シーズンは残っていますので、投げている姿を見たいと思っていますし、多くの人に見てもらいたいと思います。

 ▼ヤクルト・青木(日米で対戦。06、09年WBCでチームメート)想像以上に浮き上がるストレートは忘れられません。日米で対戦できたこと、代表として一緒に戦えたことが良い思い出です。

 ▼DeNA・ラミレス監督(現役時代に何度も対戦)クローザーとして対戦した中でベストな選手。いつも彼と対戦するときは僕のチャレンジだったし、素晴らしい選手だった。

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