【星野の記憶1】松岡弘氏 高校時代は鉄拳一切なし 全て後輩の実になる制裁

[ 2018年1月8日 10:20 ]

星野の記憶1~語り継がれる熱き魂~元ヤクルト・松岡弘氏

松岡弘氏
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 野球を愛し、野球に愛された男、星野仙一氏が、70年の人生に幕を下ろした。「燃える男」、そして「闘将」と呼ばれた星野氏に影響を受けた野球人は数多くいる。「星野の記憶」と題し、ゆかりのある10人に思い出を語ってもらった。第1回は倉敷商の1年後輩でもある元ヤクルトの松岡弘氏(70)――。

 朝早く目が覚めてテレビをつけたら先輩の訃報が流れている。うそだと思ってチャンネルを替えても…。昨年11月28日の殿堂入りパーティーで一緒に撮ってもらった写真を引っ張り出したら、そんな気配は全くなかった。野球殿堂入りで終わるような人じゃない。まだ70歳。やり残したことがいっぱいあったはずだ。そう思うと無念でならない。

 倉敷商の1級先輩。練習を仕切るのは監督でも主将でもない。星野さんだった。「こりゃあ!やる気がねえんなら帰れ!」。試合中もマウンドで吠える。相手を威嚇するだけじゃなく、拙い守備をしようものなら「何しようるんなら!」と味方も怒鳴り上げた。

 怖い先輩だったが、殴られたことは一度もない。他の先輩にはやられたが、星野さんは鉄拳制裁は一切しなかった。もっぱら説教で、終わったらランニングにバットスイング。練習量がやたらと増えた。全て私たち後輩の実になる制裁。チームはまとまり、強くなっていった。監督としての素地が当時からあったように思う。

 プロでは何度か対戦(6度投げ合って2勝3敗)したが、私がヒットでも打とうものなら大変。先輩が打席に入ったときに「おい、真っすぐ放ってこいよ!」と凄まれる。同じ中日戦でも先輩と投げ合うときは特別。気迫に負けまいと必死だった。でも、翌日の練習中に会うと「あそこはこうした方がええんじゃないか?」。技術面や精神面で気がついたことをアドバイスしてくれる。プロでも頼れる先輩だった。

 引退後は毎オフ、岡山出身のプロ野球人でつくる「球六会」の野球教室などでご一緒させてもらった。「どうしよんなら?」。いつも気にかけてくれた先輩。もうお会いできないと思うと寂しくてたまらない。

 ◆松岡 弘(まつおか・ひろむ)1947年(昭22)7月26日、岡山県生まれの70歳。倉敷商から三菱重工水島を経て、67年ドラフト5位でサンケイ(現ヤクルト)入団。78年に沢村賞に輝き、球団初の日本一に貢献。80年は最優秀防御率を受賞した。85年現役引退。通算191勝190敗41セーブ。右投げ右打ち。

 ≪プロ入り後に6度先発対決≫松岡(ヤ)と星野(中)の先発対決は6度あり、星野の3勝2敗に対し、松岡は2勝3敗。初対決の69年5月13日(神宮)は松岡が完投勝利。最後となった79年6月2日(福井)は星野が7回無失点で勝っている。なお、松岡は74年4月10日(神宮)の対決で完封勝利を挙げるなど神宮では2戦2勝だった。

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