侍J稲葉監督 星野さん、金獲ります 北京五輪の無念「男にできなかった」

[ 2018年1月8日 05:30 ]

野球教室で西武の辻監督(左)と子供たちを見つめる侍ジャパンの稲葉監督
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 星野さん、北京の悔しさは東京で晴らします――。侍ジャパンの稲葉篤紀監督(45)が7日、膵臓(すいぞう)がんのため4日に死去した星野仙一氏(享年70)へ手向けの金メダル奪取を誓った。08年北京五輪に星野監督のもと選手として出場も、メダルなしの4位。闘将の「熱さ」を継承し、20年東京五輪を戦い抜くことを宣言した。

 目は潤み、唇が震えた。無念さをかみ殺しながら、稲葉監督は星野氏への思いを言葉にした。

 「北京五輪で星野監督を男にできなかった。非常に後悔していますし、その悔しさを星野監督も持っていたと思う。何とかメダルを獲って星野監督にいい報告ができるように頑張っていきたい」

 子供たちへ向けていた柔和な視線が、寂しげに曇った。この日は佐賀市内で、現役時代に当地で一緒に自主トレを行った西武・辻監督の後援会野球教室に参加。小学生200人、中学生130人を前に笑顔を交えつつも、真摯(しんし)な指導は星野氏譲りの熱さがあった。「星野さんの野球というもの、熱いもの、熱というものは受け継いでいるつもり。ああいうふうに日の丸をつけさせていただいたのは、僕の野球人生に大きく影響している」と話した。

 一本の電話を忘れない。臀部(でんぶ)の痛みに悩まされていた08年。北京五輪の野球日本代表監督だった星野氏から着信があった。

 「“出たいか出たくないんか、どっちや”と電話がかかってきて“出たいです”と。“分かった”と電話を切られた」。侍の指揮官になってさらに強くなった、日の丸を背負って戦う覚悟。「僕も、熱い、本当に気持ちを持った選手を選びたい。そこは星野監督に教えてもらったこと。選ばれたから出るんじゃなくて“出たい”と」。日本のため、日本球界のために戦う熱さを持った選手を、東京五輪に向けて吟味する。

 早すぎる旅立ちに無念さは残る。「オリンピックの監督は、WBCとちょっと違う。そういう意味でもどんな感じだったかとか、本当はいろいろもっとお話を聞きたかった。今では凄く後悔している」。だからこそ、闘将の北京での無念を東京で晴らす。

 「熱というものを、伝えていかないといけない。気持ちの熱い選手が一人でも増えてくれるように、伝えていきたい」。星野氏の燃えたぎる熱さを、20年の東京につなげる。(春川 英樹)

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