伝説の日大三OBが再結成!立正・内田和也監督が近藤一樹氏を招へいした真の理由「完全な天才ではない」

[ 2024年3月7日 12:00 ]

立正大学付属立正高校を指導した近藤一樹氏(右)と同校の内田和也監督
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 元オリックス、ヤクルトなどで活躍した近藤一樹氏(40)が、2月29日に東京・立正大学付属立正高校で野球指導を行った。オファーを出したのは、日大三の同級生でもある同校の内田和也監督(40)だった。なぜ、近藤氏にオファーを出したのか。指揮官の本音に迫った。

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 校門まで出迎えた内田監督に、近藤氏も思わず表情を緩めた。2人は2001年夏に日大三の全国制覇に貢献したエースと主軸打者。その年、日大三から合計4人の選手がドラフト会議で指名されたが、近藤氏は近鉄、内田監督もヤクルトに入団した。2人が“同じ”グラウンドで野球をするのは、いわば、あの夏以来。同監督は「引退したら絶対に来させようと思っていました」と、長年の夢がかなった瞬間を喜んだ。

 近藤氏が股関節の可動域を広げるストレッチや、キャッチボールの基本からじっくり指導する姿を脇で見ていた。プロ通算347試合に登板し、43勝、71ホールド、4セーブ。18年には最優秀中継ぎ投手賞のタイトルも獲得している。高校生には憧れの存在だが、近藤氏を招へいした経緯について同監督は「仲間だから、ではないんです。タイトルを獲ったからとか、何十勝したからとか、が理由ではない」とキッパリ口にする。選手に伝えてほしかったのは、山あり谷ありの野球人生で得た経験だった。

 高校時代の近藤投手について、「昔は体ができていなかった。素材はピカイチだったのですが」という印象を持っていた。だが、08年に初めて10勝をマークした際に再会すると「体が変わっていた。ローテに入る投手は違うんだな」と変化に驚かされた。その体が、19年間のプロ生活を支えたわけだが、「近藤は完全な天才ではない」と言った。

 オリックス時代に4年連続で手術を受けるなど、ケガの連続でもあった。それでも復活し、タイトルを獲得するまでに成長。内田監督は「ケガのしんどさや、投げられる喜びを知っている人は少ない」と本音を明かす。選手に感じてほしいのは、ケガをしたらどうするべきか。ケガをしないためにはどんな方法がいいか。毎日、コツコツ努力する大切さを理解してほしいからでもあった。

 「投げるとは、を教えてあげてほしい。ピッチャーって、ここまで体を使うんだ、と選手が理解してくれれば。定期的に見てほしいというのが希望なんです」

 東京・大田区にある同校。校舎に隣接する形でグラウンドがあるが、野球に適している訳ではない。サッカー部と共用のグラウンドは長方形。外野を含めた守備練習をする際には、ホームベースの位置を入れ替えて、右翼用・左翼用など工夫をしないといけない。また、野球部だけで使える日も限られているため、工夫と意識が重要になる。現在部員は63人。新入生が入ってくれば、100人規模の大所帯になる。そこにはプラスもマイナスもある。

 練習試合をやるとなれば、午前、午後と2試合やることも当たり前。監督になると目の前の試合に集中するため、投手や試合に出ない選手の管理に目が行き届かなくなる。近藤氏には「オープン戦も見に来てほしい。投げ終わった後の投手や、投げる前の準備などもアドバイスしてあげてほしい」という。監督不在の時でも、自分で動けるきっかけやノウハウを与えたいわけだ。

 内田監督のモットーは「間違っていないことを教えたい」というもの。「広岡さんの守り方とか、何十年も野球界に残っているものってあるじゃないですか。良いものはずっと残る。それを伝えたいなと思っています」。将来、卒業生が自分の子供に教える際に困らないように、という親心もある。「うちに来て、3年間やってもらって、良かったなと思ってもらいたい」という胸の内も口にした。

 同校は19年夏のベスト8が最高。指揮官は「条件が悪くても、甲子園は諦めません」と、最高成績の更新ではなく、東東京地区を制覇して全国大会出場を夢見ている。投手としてプロで最高の経験を積んできた近藤氏に力を貸してほしい。選手を指導する後ろ姿を見ていた内田監督は「夢ですよね。夢のような光景」と、あの夏のように2人で同じ目標に向かった日々を思い出していた。

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