ラグビーレジェンド対談 第2回 三洋電機 打倒神戸製鋼へ特訓、特訓、また特訓

[ 2024年5月25日 12:01 ]

ラグビーレジェンド対談
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 元ラグビー日本代表の大八木淳史氏(62)がゲストを招いてトークする「レジェンド対談」。第4弾は神戸製鋼の7連覇時代に、宿敵・三洋電機(埼玉パナソニックワイルドナイツ)のロックとして活躍した盛田清人氏(60)、神戸製鋼のフランカーとして7連覇に貢献した同僚杉本慎治氏(60)です。第2回は「三洋電機 打倒神戸製鋼へ特訓、特訓、また特訓」(対談映像はYouTube「スポニチチャンネル」で配信中です) 対談動画はこちらから

 神戸製鋼7連覇の中、一番に思い出されるのが、ロスタイムに逆転勝利したV3のはず。そう、イアン・ウィリアムスの独走トライシーンだ。

 劇的な幕切れとなったが、神戸製鋼の選手たちは、ほぼ負けを覚悟していた。杉本氏は「あの試合はやられっぱなしでした。全然いける(勝てる)感じがしなかった。久しぶりに、どうしようもなかった」。試合は完全に三洋電機が支配していた。

 ロスタイムに入った時点で三洋電機が16―12とリード。トライ数は三洋電機2本に対し神戸製鋼は0本。1トライを返し同点としても、トライ数差で三洋電機が日本選手権進出の権利を得る。逆転するしかなかった。

 しかし、三洋電機の好ディフェンスの前に神戸製鋼は攻めても攻めてもはね返され、後退を繰り返しが、ラストワンプレーで語り継がれるドラマが生まれた。

 「ワンバウンドしたボールがちゃんとつながって、勝つべくして勝ったんやろな」。ケガのためスタンドから観戦していた盛田氏の胸中は複雑だった。自分が出場せずに勝っていたら……

 そして、勝者と敗者のコントラストはあまりにも残酷だった。

 またも勝てなかった三洋電機は、想像できない行動に出た。

 「何か日本一を体感しよう」(盛田氏)

 宮地監督が取り入れたのは富士山登頂。しかし、敗れて次は習志野陸上自衛隊での入隊訓練。それでも勝てず、夏の酷暑の中、静岡掛川市の海岸で砂浜トレーニング。体感企画も優勝につながらなかった。 

 それならどうする。

 「知的になろうぜ」(盛田氏)

 「一番忘れていたことや。オレらの時代のラガーが。ほんで何をしたん」(大八木氏)

 「神戸製鋼にうち(三洋電機)のサイン、全部ばれてませんでしたか? 発想の転換で数字はあかんと。五十音でいこうと。母音で“621(い)”と言えば2番に速いボールとか、左でボールを持ったら、何々を優先させるとかね。でも、逆にチームが混乱し出して、“ややこしいサインやめろ”となったんです」(盛田氏)

 「分からんようになったら、途中で修正しようないですもんね」(杉本氏)

 諜報(ちょうほう)戦略も失敗し、またも神戸製鋼には勝てなかった。

 「僕らの時代の、永遠のよきライバルやんね。三洋電機がいたからオレらも勝てたんとちゃうかな」(大八木氏)
 (詳細はYouTubeで)

 ◇盛田 清人(もりた すみと)1963年(昭和38)8月27、大阪府寝屋川市生まれの60歳。南寝屋川高(現 緑風冠)からラグビーを始め、大阪体育大学―三洋電機。現役時代のポジションはロック。元日本選抜。
 
 ◇杉本 慎治(すぎもと しんじ)1964年(昭和39)4月20日、京都市生まれの60歳。伏見工1年からレギュラーとして全国大会優勝。同志社大では大学選手権3連覇、神戸製鋼では日本選手権7連覇に貢献。現役時代のポジションはフォワード第3列。元日本代表候補。

 ◇大八木 淳史(おおやぎ・あつし)1961年(昭36)8月15日、京都市生まれの62歳。伏見工からラグビーを始め、同志社大―神戸製鋼。同志社大時代は大学選手権3連覇、神戸製鋼時代は日本選手権7連覇に貢献。現役時代のポジションはロック。日本代表キャップ30。

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