7人制ラグビー女子・大竹風美子 大ケガ乗り越え、歩み始めたパリ五輪への道

[ 2021年12月11日 07:25 ]

2月のケガからこれまでの道のりなどについて語った大竹風美子
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 7人制ラグビー女子の世界では珍しいプロ選手として活動する大竹風美子(22=東京山九フェニックス)は、今夏開催された東京五輪代表の有力候補だった。コロナ禍で1年延期が決まり、仕切り直しの夏に向けて代表候補の合宿に参加していた今年2月、練習中に左膝の前十字靱帯(じんたい)損傷の大ケガを負い、事実上、TOKYOへの道が断たれた。それから10カ月。地道なリハビリの甲斐あり、年明けにはスパイクを履いてグラウンドでの練習を再開する計画だという。絶望を乗り越え、24年パリ五輪へと歩みを始めている。

 とんとん拍子の出世街道の最初の終着点になるはずだった東京五輪への道は、「バチッ」という聞き慣れない音と共に突如断たれた。高校までは陸上界で活躍。高3のインターハイでは七種競技で6位入賞したが、新たな針路をセブンズに向け、日体大進学前の17年1月には早くも代表合宿に練習生として参加した。競技開始1年足らずで正規の代表に選ばれ、翌18年にはW杯セブンズとアジア大会に出場。そのアジア大会では金メダルを獲得するなど、道のりは極めて順調だった。

 今年2月の宮崎、何の前触れもなくその時は訪れた。サイズで世界に劣る日本が何よりも重要視していたキックオフの練習、競りに行った際、着地で左膝が鈍い音を立てた。「初めてだった。後から(診察した医師の)先制に“靱帯が凄いことになっていた”と聞いた。部分的に靱帯が残ると痛いらしいんですけど、しっかり切れていたので、痛くはなかった」。翌日、1人で帰京。最大の理解者であり応援団でもある両親ら家族に会うと、せきを切ったように涙があふれた。

 「涙が止まらなかった。でも“支えてきてくれたのに申し訳ない”と謝ったら、“そんなふうに思わなくてもいいよ”と言われて」

 ナイジェリア出身の父・エディーさんは、一番のサポーターだ。海外遠征から帰国した空港で、愛娘から奪い取ったメダルを自分の首に掛け、居合わせた客に何事か?と思わせるほどのひょうきんで明るいキャラクターの持ち主でもある。そのDNAを受け継ぐ4人姉妹も、みんな明るい性格。大竹自身、代表では「ポジティブリーダー」なる役職を与えられ、時に沈みがちな雰囲気をパッと明るく変えられる素養を持つ。そんな、ひまわりのような笑顔が魅力の大竹が、2月の負傷から3月5日の手術日にかけては「灰になってました」という。

 携帯電話に届くラインは、励ましの言葉で埋め尽くされた。1通1通、送信してくれた相手の顔を思い浮かべながら読む。もちろん、うれしい。だが、喪失感は簡単に埋められるものではなかった。「みんなが励ましてくれたけど、受け入れられない部分もあった。本当に凄く、1日が長かった。3月の1カ月間は、1年くらいの感覚だった」。ラグビーから少し離れようと、映画を見たり、ゲームをしたり、そして家族と一緒に過ごして気を紛らせた。日体大の卒業式が行われた3月15日、2カ月間のリハビリを行う大分へ。出発を1日ずらせば出席できたが、「あらかじめ決まっていたので。松葉づえで、はかまも着られないし」。まだ希望を見いだせる段階ではなかった。それでも本能のままに、次へのステップへと歩み始めた。

 「自分を見つめ直した」というリハビリの2カ月間を終えた時、気持ちは幾分か上向いていた。迎えた東京五輪。「パリを目指すなら気持ちは複雑かも知れないけど、目に焼き付けないといけないよ」。父に言われた言葉と、大竹自身の思いは一致していた。逃げない。もちろん苦労を共有した仲間たちを純粋に応援したいという気持ちもあって、家族と一緒にテレビ観戦した。だが目の前の画面では、信じられない、信じたくはない場面が次々と映し出された。

 「これが夢の舞台で、なぜ自分はここにいるんだろうという思いがあったし、ずっと五輪に向けてやってきたのに、全然力が出せていないことを目の当たりにして、いろんな感情が出た」。5戦全敗。参加12チーム中最下位。自分が出ていれば、という思いよりも、一生に一度の東京五輪で結果を残せなかったことが悲しく、やるせなかった。再び直面した厳しい現実だったが、足踏みしている時間はなかった。

 「すぐに負けから何かを学ばないといけないと思った」。舞台に立った仲間たちに連絡を取り、話を聞いて回った。「時間が経たないうちに、空気感や出た人たちの思いや考えを知りたかった。何人かは会い、電話もした」。会話は自身が離脱した後、特に代表選考が最終局面に差し掛かっていた春以降の活動にも及んだ。内側で経験してきた選手たちの感想は、「自分が想像していたよりも壮絶だった」。だから今は、五輪に出られなかったことと同様に、「そこ(最終選考過程)を経験できなかったことが悔しい。それが本音」と言う。ストレスフルなふるい落としをくぐり抜けてこそ、人として選手として、たくましくなれるからだ。

 年が明ければパリ五輪まで2年となる。そして9月にはW杯セブンズ(南アフリカ・ケープタウン)とアジア大会(中国・杭州)が立て続けに開催される。つい先日、女子日本代表サクラセブンズはW杯セブンズの出場権を獲得した。「春には国内で試合があると思うので、まずはそこでパフォーマンスを出す。9月のW杯では勝利に貢献できる選手として戻りたい。1年間、ためてきた思いがあるので」。実際にスパイクを履いて練習を再開すれば、新たな困難に直面するだろう。それでも大竹は言う。「リハビリで一つ壁を乗り越えると、次の壁がすぐに出てくる。感情もあちこちに行くけど、スポーツに似ていて楽しい」と。根っからのチャレンジャー、そしてやはりポジティブリーダーなのだ。

 12月5日、プロ選手として新たな取り組みも始めた。ラグビー教室だ。今回はオンライン開催だったため、参加人数は限定的で質疑応答が中心だったという。それでも「子供たちに希望を与えるではないけど、そういう活動に興味がありました。私も何かしたかった」と充実感をにじませる。時間と社会情勢が許せば、もっとたくさんの子供たちと直にふれ合い、ラグビーの魅力を伝えていくつもりだ。(阿部 令)

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2021年12月11日のニュース