夜だったね

[ 2018年9月23日 08:08 ]

ソウル五輪の男子100メートル背泳ぎで優勝した鈴木大地
Photo By 共同

 【我満晴朗のこう見えても新人類】スポーツ庁の鈴木大地長官がオリンピックチャンピオンに輝いたのは1988年9月24日だったから、今年でジャスト30年だ。あの瞬間をソウル市内の蚕室(チャムシル)五輪プールで目撃した衝撃は今も生々しく記憶にすり込まれている。

 午前中の予選ではライバルのバーコフ(米国)と同組で2位だったが、見せ場は全くなし。なにしろバーコフのタイムは世界記録だったのだから。ゴール時は体一つ分の絶望的とも言える差がついていた。現実を目の当たりにした筆者の素直な心境は「決勝で勝つ可能性はまずない。表彰台に立てれば御の字だろう」だった。

 予選直後のフラッシュインタビューでNBCのリポーターから「夜の決勝ではポリャンスキー(ソ連)がライバルになりますね」と尋ねられたバーコフは「彼が素晴らしい選手であることは分かっています」と如才なく答えた。2者ともスズキの名を発することはない。予選で競り合うことすら出来なかった日本人など相手になるまい、のムードはプールサイドに色濃く漂っていた。

 決勝での鈴木は得意のバサロ泳法を伸ばして第一人者を慌てさせ、フィニッシュ直前に追いつく。プレス席からはバーコフ、ポリャンスキーとほぼ同時にゴール板を叩いたように見えた。3位以内に入ったよね?祈るような心境で電光掲示板を振り返ると、DAICHI SUZUKIの右横には「1」の文字が……。

 同業他社の担当記者とともに叫び声を上げ、カオス状態になる。3位以内どころか金メダルじゃないか。脳内は完全にホワイトアウト。1分ほど経過してから正気に戻った。そうだ、観客席にいる両親のコメントを取らなければ。

 記者会見を終え、プレスルームに戻り、原稿用紙に向かう。何を書いたらいいのか整理できない。そんな時は興奮をそのまま文章に叩きつければいいんだと先輩に教わっていた。ハイテンションのまま殴り書きの原稿をファクスし、時間を確認すると最終締め切りの数分前。ああ間に合った。送り済みの用紙を手にヘナヘナと座り込む。その夜は2時間程しか眠れなかったっけ。

 …と、ここまで書いて気がついた。アジアでの開催だったのに、競泳は午前決勝・夜決勝と伝統的なスケジュールで進行していたのだと。ご存じの通り、巨額の放映権料を支払う米テレビ局の意向で2008年の北京大会は決勝が午前中に行われる変則日程を採用した。そして20年東京も北京の前例が踏襲される。

 迫り来るデッドラインにひりひりしながらペンを握った30年前。軽くノスタルジーに浸るオッサン記者にとって「競泳の午前決勝」はいまだに違和感がある。選手ファーストではなく、お金ファーストの祭典だから仕方ないとはいえ、ダイチ長官、なんとかならないのか。えっ、お門違い?(専門委員)

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2018年9月23日のニュース