パンサー尾形 「首の皮一枚くらい」トリオの解散危機をぶっちゃけ 菅も「2人でやらないかって」と告白

[ 2024年1月17日 18:01 ]

パンサーの(左から)菅良太郎、向井慧、尾形貴弘
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 お笑いトリオ・パンサーの尾形貴弘(46)が16日放送のテレビ朝日系「証言者バラエティ アンタウォッチマン」(火曜後11・45)にゲスト出演。トリオの解散危機について語った。

 尾形は宮城県東松島市出身で、中央大学卒業後、サッカークラブのある会社に就職し、営業職に就くも、1年後には芸人になるため会社を退職。02年に東京NSC(吉本総合芸能学院)に8期生として入学し、お笑いコンビ「グレートホーン」として活動を開始した。

 だが、07年にコンビは解散。ピン芸人・サンキュー尾形として活動したが、結果が出ず。故郷に帰る決断をしたものの、菅良太郎を誘い、向井慧も加わる形で08年に「パンサー」を結成した。

 そうしてトリオは菅の書くネタ、向井の軽妙なツッコミ、尾形の勢いのあるキャラが定着し、ライブシーンで人気者に。尾形はその後、11年の東日本大震災で両親が助かったことをきっかけに、何事にも全力で取り組む芸人になったという。

 翌12年からは、同局「ロンドンハーツ」でのドッキリ企画で人気となり、テレビ出演が増えるように。尾形は目の前のことに懸命に取り組んだが、パンサーは微妙な関係となっていたという。VTRで尾形は「この頃なんてもう首の皮一枚くらいです、俺。(ほかの2人が)抜けてほしいと思ってたと思うし」と回顧した。

 別のVTRで向井は「自分がガンガンいかなきゃっていう人ではあるんで、それがいい方に出て助かる時もいっぱいあるんですけど、完全に僕らのこと考えないみたいな。それで何回か大きくケンカというか」と証言。菅は「ちょっと俺も無理かもなってなった時にそういう時に言ったことがあるんですよ。パンサーを解散したいというより、(菅と向井の)2人でやらないかって」と考えたことがあったと明かした。

 尾形はスタジオで「2人が解散したいって思ってたらしいんですけど、タイミングが合わなかったらしいですよ。菅が解散したいって思うタイミングと、向井が解散したいって(思うタイミングが)。だから奇跡的に重なんなかっただけで、重なってたらもう終わってたんで」と語り、「だからどう(2人に)認めてもらうように頑張るかっていう感じでしたね僕は」と振り返った。

 お笑いコンビ「アンタッチャブル」の山崎弘也が尾形について「ロンドンハーツ」でドッキリを仕掛けられている際、「(菅と向井は田村)淳さんの指示で笑ってんだけど、それ見て凄いうれしそうなのよ」と発言。

 尾形は「あれ指示なんだ」としながらも「でもあれで救われたかもしれない」。山崎は「あん時凄いめちゃめちゃテンション上がってて。相方に認められたみたいな。だからいろいろあったんだなみたいなね」と納得した様子で話した。

 そうして相方に自分も面白いと思ってもらうために一人でも、どんな仕事でも懸命に頑張ったことで、菅も向井も徐々に尾形の凄さとトリオでの必要性に気づいていったという。

 向井は再びVTRで「打率は決して高くない打者だと思うんですけど、一本打った時のデカさが他の芸人さんでは出せないでっかいホームラン打つ。ダイジェストにした時に絶対残るっていう」と称賛。「自分ができることを突き詰めて、変えなかった人というか。そうじゃないとたどりつかないところにいる感じはしますね」と続けた。

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