パンサー尾形 芸人として目覚めるきっかけは「こき使ったりしてた」元サッカー日本代表の大活躍 

[ 2024年1月17日 11:29 ]

パンサーの尾形貴弘
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 お笑いトリオ・パンサーの尾形貴弘(46)が16日放送のテレビ朝日系「証言者バラエティ アンタウォッチマン」(火曜後11・45)にゲスト出演。自身がお笑い芸人として目覚めるきっかけとなった人物について語った。

 尾形は宮城県東松島市出身で、仙台育英高校サッカー部から、中央大へスポーツ推薦で入学。だが大学時代は「東京にどんどん染まっていって。酒、女、ギャンブル、毎日八王子にナンパ、結構八王子では僕有名で、“八王子のハイエナ”って呼ばれてたんですよ」と振り返った。

 大学卒業後、サッカークラブのある会社に就職し、営業職に就くも、1年後には芸人になるため会社を退職。02年に東京NSC(吉本総合芸能学院)に8期生として入学した。お笑いコンビ「グレートホーン」として活動を開始した。

 しかし当時はお笑いへの考えが甘かった。「やっぱりお笑いも好きだけどモテたい。八王子のハイエナが残ってるからまだ」と尾形。当時はツッコミをしていたが「“なんでやねん!”みたいな。関西人でもないのに。寒い感じで。スベリまくってましたね」と回顧した。

 そんな中、ある男の活躍が尾形を目覚めさせたという。それは元サッカー日本代表の中村憲剛氏だった。

 尾形が大学4年の時に中村氏は1年生だったとし、尾形は「サッカー部で寮が一緒だっていうだけで、俺はバンバンこき使ったりしてたんですよ。“代わりに授業行って来い”“俺の名前返事して来い”とか」と明かした。

 中村氏はJリーグの川崎Fに練習生として入団。そこから努力して活躍するように。尾形は「憲剛のこと見てたらどんどん出世していくんですよ。日本代表までなって、それ見て俺はもうカッコいいなと。変なプライドとか捨ててやってみようと思って。いろいろ前に出たりとか、いろいろ努力したりとかするようにはなりましたね」と話し、「あいつのおかげかもしれないですね」と感謝した。

 笑いに対する姿勢が徐々に変わって来た尾形だったが、07年にコンビは解散。ピン芸人・サンキュー尾形として活動も結果が出ず、芸人を辞めて故郷に帰ろうかとも考えたが、菅良太郎を誘って再度挑戦することに。そこに向井慧も加わる形で08年に「パンサー」を結成することになったとした。 

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