アントニオ猪木さん&アリとの貴重な3ショット 親交あった河内家菊水丸が追悼「思い出は尽きません」 

[ 2022年10月1日 18:00 ]

河内家菊水丸(中央)は「平和のための平壌国際体育・文化祝典」にアントニオ猪木さんから誘われて、ムハマド・アリさんと北朝鮮を訪問
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 猪木さんと親しかった伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸(59)は本紙の取材に、「もう少し長生きしていただきたかった。思い出は尽きません」と一緒に歩んだ“修羅場”を振り返りながら故人を偲んだ。

 猪木さんが1990年6月に大阪・なんばグランド花月で行った興業「シアタープロレス」で河内音頭を披露。そこで親しくなったことがきっかけで、猪木さんに声を掛けられる仲になり、同年12月には湾岸戦争で緊張感漂うイラクで人質になっていた日本人救出のために猪木さんがバグダッドで開いた「平和の祭典」へ同行した。

 95年4月には北朝鮮の平壌で、猪木さんの宿敵モハメド・アリも呼ばれた新日本プロレス興業「平和のための平壌国際体育・文化祝典」に参加。平壌の現地ホテルで食事中、猪木さんらが立ち上げた「スポーツ平和党」から同年の参院選出馬を打診されたこともあった。「本当に熱心に誘われて。結局断りましたが、私が収集家なことを知っていて“アリ戦で来ていたガウンをあげましょうか?”とまで言っていただいた」と懐かしむ。

 猪木さんにほれ込んだのはその人柄だった。「絶対に偉そうにされません。相手が年上年下にかかわらず必ず敬語でサインは断らない。いつもいつも笑顔で、待ち合わせ場所ではそのままでも目立つのに一番目立つ場所に仁王立ちしているから必ず人だかりができていた」と回想。「“そんな人が一緒なら大丈夫”と自分まで人質になる危険があったイラクに行くこともできたんです」と振り返る。

 数年前に神戸の有馬温泉に誘われたがスケジュールが合わなかったのが心残り。最近はなかなか会えず、10年近く前に大阪府内のフランス料理店で会食したのが最後だったが、「日本人でアリのパンチを受けたのは僕だけです」という言葉はプロレス好きとして今も忘れられない。「(宿敵が6年前に先に旅打他)天国でもう一度“アリキック”をして、ファンを喜ばせくれるのではないでしょうか」と話した。

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2022年10月1日のニュース