円楽さん 天国の高座へ 「笑点」復帰かなわず突然の別れ

[ 2022年10月1日 05:30 ]

病と闘いながら高座に上がり続けた三遊亭円楽さん

 日本テレビ「笑点」の大喜利メンバーとして活躍した落語家の六代目三遊亭円楽(さんゆうてい・えんらく、本名会泰通=あい・やすみち)さんが30日、肺がんのため死去した。72歳。東京都出身。通夜、葬儀・告別式は家族葬で行う。「笑点」では、2018年に死去した桂歌丸さん(享年81)との毒舌の掛け合いが人気で「腹黒キャラ」としてお茶の間に親しまれた。

 円楽さんは8月26日に肺炎で入院。症状が改善したため、患っていた肺がんの治療を再開した直後に容体が急変したという。所属事務所は公式サイトで訃報を伝え「遺族、関係者一同、大変急なことで、今はまだ悲しみに向き合うこともできず、対応に追われております」とした。4年の闘病があったとはいえ、関係者も驚くほどの急な別れだった。後日、お別れの会を開く。

 病との闘いが続いた。18年10月に初期の肺がんの摘出手術を受け、19年7月には脳腫瘍が見つかった。同年、肺がんが再発。過去には大腸がんと診断され内視鏡手術を受けたこともあった。今年1月には脳梗塞で入院した。

 8月11日に東京・国立演芸場で高座復帰。入院中のエピソードを紹介しながら古典落語を演じ、拍手を浴びると涙を流した。その後は「笑点」への復帰を目指していたが、同26日に息苦しさを訴え、肺炎と診断され入院。30日に予定した独演会を中止した。1月30日が最後の笑点出演となった。

 小学校のバス旅行で「ガマの油」を披露するなど幼少期から落語が好きで、70年に五代目円楽さんの付き人を経て一門に入門。「楽太郎」を名乗った。77年、まだ若手の二つ目ながら、六代目三遊亭円窓さんの後任として笑点のレギュラーに抜てき。紫色の着物の腹黒キャラで人気となった。先輩たちに毒舌を吐く一方で、健康状態を気遣うなど思いやりも忘れず、番組を盛り上げる欠かせない存在として親しまれた。

 一回り以上年上の歌丸さんとの罵倒合戦は笑点の名物と化し、ファンに毎週待ち望まれた。大の仲良しだったからこそできた丁々発止で、歌丸さんの死後最初の放送となった追悼大喜利では「ジジイ!早すぎるんだよ!」と涙ながらに叫んだ。19年に自身が脳腫瘍から復帰した際も「(天国に)呼ぼうとしたんならただじゃおかねえぞ」と引き合いに出して笑いを誘っていただけに、笑点ファンから「天国でも仲良く大喜利してほしい」としのぶ声が上がった。

 78年に真打ち昇進問題を機に落語協会で分裂騒動が起きると、師匠とともに協会を脱退し、落語三遊協会所属となった。80年に三遊協会が解散し、大日本すみれ会(現・五代目円楽一門会)に所属。17年に歌丸さんらの仲介によって客員として落語芸術協会に加入が認められ、39年ぶりに定席興行に出演した。

 81年に真打ちに昇進し、10年に六代目円楽を襲名。16年に40代女性との不倫が報じられた際には、会見を開いて関係を認め、反省の念を謎かけで披露してオチまで付け、神対応と言われた。

 晩年は落語界の交流や活性化に力を注ぎ続けた。師匠の師匠が名乗っていた「円生」の大名跡を襲名したいと意欲も示していたが、その夢はかなわなかった。落語と、落語を愛する人々を、愛した人生だった。

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