長期闘病の末に…高島忠夫さん 88歳で死去

[ 2019年6月29日 05:30 ]

亡くなった高島忠夫さん
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 映画やドラマ、ミュージカルのほかテレビ番組の司会など幅広く活躍した俳優の高島忠夫(たかしま・ただお、本名高嶋忠夫)さんが老衰のため26日午後1時1分、都内の自宅で死去した。88歳。神戸市生まれ。家族が27日に葬儀を営み、所属事務所が28日に発表した。日本を代表する芸能一家の大黒柱で、「イエーイ!」の決めぜりふでも愛された昭和のスターの訃報に芸能界は悲しみに包まれた。

 長身で甘いマスク、戦後間もなくの日本に爽やかな風を吹かせ、その後も多彩な顔で親しまれた高島さんが静かに逝った。70年代に発症した糖尿病に加え、パーキンソン病やうつ病、2010年には不整脈のため心臓にペースメーカーを取り付けるなど闘病生活は長期に及んだが、最期は妻で女優の寿美花代(87)にみとられて息を引き取った。

 寿美の意向で、次男の高嶋政宏(53)、三男の高嶋政伸(52)ら親族だけで葬儀を済ませた。政伸は生前の高島さんがファンだった歌手フリオ・イグレシアス(75)の名前を挙げ「大好きだったフリオの歌声に包まれて本当に穏やかに旅立ちました」とコメントした。関係者によると、お別れの会も行わない予定という。

 高島さんは51年に新東宝の第1期ニューフェース試験を受けて合格し、関西学院大学を2年で中退して上京。52年に「恋の応援団長」でデビュー。「青春ジャズ娘」「東京シンデレラ娘」など一連の音楽映画で江利チエミさんや雪村いづみ(82)と共演し、「歌うスター」として活躍した。

 その後も56年に始まる「坊ちゃん」シリーズなどに主演して看板を背負ったが、61年に新東宝が倒産。演出家の菊田一夫氏に「君はミュージカルスターになれる」と誘われて東宝に移籍。映画「サラリーマン弥次喜多道中」などで組んだ藤木悠さんとのコンビは人気を呼んだ。63年には日本初のブロードウェー・ミュージカル「マイ・フェア・レディ」にヒギンズ教授役で出演し、好評を得た。

 テレビ共演がきっかけで宝塚トップスターの寿美花代と交際を始め、63年に結婚。翌64年に長男に恵まれたが、生後5カ月で当時17歳の家政婦に殺害されるという悲劇に見舞われた。悲しみを乗り越え、70年代からは軸足をテレビにシフト。ドラマ「細うで繁盛記」の老舗旅館・山水館の板長役や、寿美と夫婦で司会を務めた料理番組「ごちそうさま」、「クイズ・ドレミファドン!」の司会、さらには「ゴールデン洋画劇場」の映画解説も長く務めた。80年代後半に政宏、政伸が俳優デビューし、93年からは家族4人でコンサートを定期的に開催した。

 98年にうつ病が重症化。「暴れん坊将軍」などレギュラー出演していた4番組を降板し、療養に努めた。闘病の様子は13年「独占密着!真実の高島ファミリー」(フジ)など、度々テレビで紹介された。

 ▼イエーイ! テンションが高くスピード感のある進行が特徴的だった高島さんが司会を務めたフジテレビ「クイズ・ドレミファドン!」で、親指を立てながら頻繁に使ったフレーズで“代名詞”となった。アダルトチームの回答者としてレギュラー出演した同局の「クイズ!年の差なんて」では、ヤングチームの出演者から名前ではなく「イエーイ!」と呼ばれていた。05年に政宏がシルビア・グラブと結婚し、京都で披露宴を行った際には、家族全員で親指を立てて「イエーイ!」と言いながら集合写真を撮影した。

 ◆高島 忠夫(たかしま・ただお)1930年(昭5)7月27日生まれ、兵庫県神戸市出身。51年に新東宝に入社。ジャズ映画で「歌うスター」として人気者に。61年の新東宝倒産でテレビに軸足を移し、料理番組、映画解説、司会業とマルチに活躍。63年に結婚した寿美花代、息子の高嶋政宏、政伸との一家でCMやバラエティー番組にも出演した。

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