サンドウィッチマン たった1度だけあった解散の危機…「もう、やめとくか」「まだ、早いだろう」

[ 2019年3月1日 23:00 ]

サンドウィッチマンの伊達みきお(左)と富澤たけし
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 お笑いコンビ「サンドウィッチマン」の伊達みきお(44)と富澤たけし(44)が1日放送のTBS「中居正広のキンスマスペシャル 好感度No.1芸人 サンドウィッチマン」(金曜後8・00)に出演、ただ1度だけあった解散の危機について語った。

 2人は仙台商時代にラグビー部で知り合う。卒業後、お笑いの道に進みたかった富澤は、介護用品を販売する仕事に就いていた伊達を3年かけて説得した。伊達は、戦国武将の伊達政宗につながる家系で、曽祖父は裁判官、祖父も東大卒、両親とも銀行員という堅い家柄。伊達は父親の反対もあったが、祖父の死をきっかけに「東京で3年やってだめなら帰ってくる」という条件の下、1998年にコンビを結成した。

 今でも富澤は「出会った人の中で一番面白かった。高校時代からツッコミができていた」と相方を評価。2人は24歳で上京、10年間2人で1DKのアパートで同居、アルバイトをしながらお笑いに挑戦した。

 「けんかはしたことない。ここでモメたら終わりだなという意識があった」という2人だが、6年ほどたった時、1回だけ解散の危機があったという。

 昨年には「好きな芸人」ランキングで、明石家さんまの15連覇を止めた2人だが、当時はまったく売れない日々。富澤にとって、売れないことは、会社をやめさせて上京させた伊達への恩返しができていないことでもあったが、そんなプレッシャーもあってか、ネタが書けなくなっていったという。とうとう30歳前のある日、富澤は「もう、やめとくか」と切り出した。だが伊達は「まだ、早いだろう。売れないからやめるとか理由になっていないから」と答え、30歳までの1年間、がむしゃらに活動。徐々にTVなどにも出演するようになった2人は、上京してから10年目、2007年にM―1グランプリで優勝。上京した時に伊達に書かせた7つの夢「野球をやらせる」「ボルボワゴンに乗せる」「ナレーターをさせる」「歌を出させる」「極道映画に出演させる」「オールナイトニッポンをやらせる」「食べ物のCMに出させる」は2013年にすべてかなった。

 だが、2人に転機が訪れたのは2011年3月11日。宮城県・気仙沼でのロケ中に東日本大震災に遭ったことだった。2日後には生放送の収録のため10時間以上かけて東京に戻った2人だが、ライフラインが復旧しない被災地との温度差に衝撃を受け、何かやらねば、と思ったという。「色がつくのは嫌だな。お笑いの仕事がなくなるかもしれない」という思いもあったが「被災者として、生かされた人間としてできることは何でもしなくては」(伊達)と義援金を募る活動を開始。被災地で「皆さんに笑いを届けてください」と言われた通り、12年7月にはライブも開催。「笑いにほっとした」と語った。これまでの8年間で同番組MCの中居正広(46)の協力もあり4億円の募金を集めた2人だが「まだまだ。風化させたくない」と今後も活動を続けていくことを誓った。

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2019年3月1日のニュース