ロッテ・朗希 被災から11年…20歳となって自らの使命見つけた「小さい子たちの道しるべ」

[ 2022年3月11日 05:30 ]

練習中に笑顔で空を見上げる佐々木朗(撮影・沢田 明徳)
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 ロッテ・佐々木朗希投手(20)が10日、スポニチ本紙の独占インタビューに応じた。2011年3月11日、岩手県陸前高田市で東日本大震災に遭ってから、11日で丸11年を迎える。小学3年時に父・功太さん(享年37)を津波で亡くした少年は成人し、世界から「令和の怪物」として注目される。「特別な日」を前に、被災者として、そしてプロ野球選手として、自らの使命を明かした。(取材、構成・横市 勇)

 佐々木朗は「地元が大好き」と言う。故郷への思いは、人一倍強い。1月の成人式では、岩手県陸前高田市と被災後に移って育った大船渡市、2つの成人式に出席した。

 「それぞれ10年ずつ住んだので、どちらも特別な場所。(式典の)時間帯も違った。陸前高田は震災以来、会っていない人も多かった。(被災後に引っ越した)大船渡は高校までいたので、そういう違いはあったかな」

 つらく、苦しい記憶も多い場所かもしれない。それでも、仲間から「応援している」とのエールをもらった。20年8月には津波にのまれた陸前高田市の旧球場に代わり、楽天イーグルス奇跡の一本松球場が完成した。

 「近くに行って見たことがある。きれいでしたね。元々あった球場は流されてしまって。投げる機会があれば、ぜひ、はい」

 震災を経験したが、今も地元と、友人たちとともに生きている。復興から再興への息吹も感じる。そして、プロ野球選手となった。

 「みんなに見られる立場なので、僕の発言だとか、姿勢だとか、少なからず影響もあるし、被災者として求められる。小さい子たちの道しるべになれたらいいなと思う」

 震災後に生まれた子供たちも多くなった。風化させないためにも、自身の経験を発信する必要がある。影響力があるプロ野球選手として活躍することも重要だ。昨季はプロ初勝利を飾るなど、3勝をマークした。プロ3年目、期待は大きい。

 「毎年求められることは変わる。昨年ならば試合に投げる。今年は開幕から一年間、ローテーションで回ってもらうと言われている。自分のレベルより、少し上のことを毎回求められるが、できることだと思っている」

 オープン戦では剛速球を連発。国内だけでなく、米国ファン、メディアからも驚きの声が上がる。160キロという数字をどう捉えているのか。

 「キリのいい数字なので、見る方はそう(注目するの)かもしれない。自分の中でも投げている感触が球速と合ってきた。感覚的なところと、比例しているのはうれしい。スピードとコントロール。自分はどちらもいいと言われたい。いくら速い球を投げても、(真ん中なら)打ち返される。ある程度のコントロールも欲しい」

 最速163キロ。日本人最速のエンゼルス・大谷翔平の165キロも見えてきたが、こだわり方は独特といえる。

 「試合では今持っている力の8、9割ぐらいが出ると思う。試合で10割使うより、母数である10の方をトレーニングで上げていきたい。そうすれば、球速を出しにいかなくても、徐々にスピードは出る。その方が大事」

 球速は狙うものでない。自然と出るもの。これが令和の怪物の考え方だ。

 昨年5月、佐々木朗は甲子園でプロ初勝利を挙げた。ウイニングボールを「両親に渡したい」と答えた。女手一つで育ててくれた母と、「朗希は凄い!プロになれる」とキャッチボールをしてくれた亡き父に贈った。現在は大船渡市内にある佐々木家の実家に飾られている。

 少年時代の被災に加え、大船渡高では県大会の決勝まで進みながら、登板間隔の問題でマウンドには上がらずに悲願の甲子園出場に手が届かなかった。悲運の投手とも思われたが、過去も力にする。

 「そういうことは、他の人よりも多かったと思う。でも、プロの世界で今までの悔しさ、苦労をぶつけて、しっかりと活躍したい」

 大きな使命を背負って、背番号17はマウンドに上がり続ける。

 《163キロ出た 異次元投球》3年目の佐々木朗は驚異的な進化を遂げている。昨季までの公式戦では159キロが最速だったが、今季初登板だった2月19日の日本ハム戦では高校3年以来となる自己最速タイの163キロを計測。同26日の西武戦では、3回完全で7奪三振と圧倒した。5日のソフトバンク戦は5回2安打無失点。163キロを計測するなど、直球36球中23球が160キロ超で9三振を奪うなど、この時期としては異次元の投球が続いている。

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