巨人・桑田コーチ、日本一奪回だいじょうぶだぁ…親交あった“笑いの巨人”志村けんさん一周忌に誓い新た

[ 2021年3月30日 05:30 ]

名古屋入りした村田善コーチ(左)と桑田投手チーフコーチ補佐(撮影・木村 揚輔)
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 国民的コメディアンの志村けんさん(享年70)が、新型コロナウイルスによる肺炎で死去してから29日で1年を迎えた。「笑いは人の薬」という、ことわざがあるように笑いは人を救う。巨人の桑田真澄投手チーフコーチ補佐(52)も志村さんの笑いに助けられた一人だった。巨人ファンで親交のあった喜劇王を悼み、日本一奪回をささげる。

 桑田コーチにとって「ケンちゃん」と言えば、志村けんさんだった。今でも思い出す。94年の中日との同率最終決戦。伝説の「10・8」前夜だ。名古屋に移動した際、宿舎で長嶋茂雄監督の部屋に呼ばれ「しびれる場面で行くぞ」と抑え役を言い渡された。気持ちが高ぶる。その時、一本の電話が鳴った。長嶋監督が「ケンちゃん」と呼ぶ相手から激励され、電話を切った後にこう言われた。

 「ケンちゃんも応援してくれているんだよ。ケンちゃんって、知ってるだろ?」

 「志村さんですか」

 「いや、高倉のケンちゃんだよ」

 伝説の俳優・高倉健さん。「俺は志村けんさんのことしか、ケンちゃんって知らなかったから。ウフフ…。笑い話」と懐かしんだ。

 「子供の頃は、土曜日のドリフターズを見るのを毎週楽しみにしていた。当時、野球で厳しかった。水を飲んじゃいけないし、殴られる時代。あれを見て笑うのが、唯一の楽しみだった」。野球がうまいがゆえに、先輩の標的になった小、中学時代。講演でも当時を振り返り「皆さんにお伝えできないような、いじめを受けてきました」と語っている。つらい日々を送る桑田少年を笑いで救ったのが「8時だョ!全員集合」でギャグを連発する志村さんだった。

 志村さんが大ファンの巨人に入団。プロ入り後に励ましてくれたのも志村さんだった。

 「1年目、2年目ぐらいは頻繁に銀座とか食事に連れて行ってくれて、凄く可愛がってもらった。寮まで車を手配して迎えに来てくれたりね。いい思い出でね、楽しませてもらった。“プロの世界で頑張れよ”って、勇気づけてくれた人だった」。憧れの人から激励を受け、巨人のエースへと成長し、通算173勝をマークした。

 指導者として15年ぶりに巨人に復帰。DeNAとの開幕3連戦ではエースの菅野や戸郷にベンチで助言を送り、2勝1分けと好スタートを切った。使命は9年ぶりの日本一奪回。天国で見守る「笑いの神様」を笑顔にする。(小野寺 大)

 ▽「8時だョ!全員集合」 1965年に、いかりや長介、加藤茶、荒井注、高木ブー、仲本工事の5人で活動を開始した「ザ・ドリフターズ」が、69年にTBSで放送を開始したお笑い番組。視聴率40~50%を稼ぎ「お化け番組」と言われた。志村けんは68年にドリフの付き人となり、荒井が脱退した74年に見習いから正式にメンバー入り。「東村山音頭」や加藤との「ヒゲダンス」などで人気を博した。85年に放送終了。

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