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【内田雅也の追球】バースは「15の0」だった――開幕「12の0」の「バースの再来」ボーアへ

[ 2020年6月23日 08:00 ]

1983年5月4日、バースの初安打は江川から放った中前打だった
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 巨人―阪神の開幕3連戦のテレビ中継で何度耳にしたことだろう。阪神新外国人のジャスティン・ボーアが出てくる度に実況アナウンサーは「バースの再来」と繰り返した。

 売り文句として、これ以上のものはない。何しろランディ・バースはプロ野球史上「最強の助っ人」と呼ばれた強打者だった。1983(昭和58)年に来日。85年は3冠王となりリーグ優勝、日本一に貢献。翌86年もまた3冠王となった。88年途中で退団するまで5年半で202本塁打を放った。

 似ているのは確かだ。右投げ左打ちの一塁手で大砲タイプ。体形はバースが1メートル84、95キロに対しボーアは1メートル93、122キロと一回り大きい。

 だが、その「バースの再来」を聞いた後は必ず凡打か三振で、ため息が出た。3試合で12打数無安打2三振。前日も書いたように、この間塁上に残した走者はのべ15人(うち得点圏7人)におよび、完全にブレーキ役となっていた。

 落胆も大きいが、少し待ってもらいたい。「バースの再来」と騒ぐのなら、バースの1年目はどうだったのかを知っておきたい。83年のことだ。

 調べてみると、なんとバースは開幕から15打席連続無安打だった! 四死球はなく15打数無安打で5三振。驚くなかれ、ボーアを上回る不振だったのだ。

 バースは開幕前3月18日のオープン戦(対ロッテ)で左手首(尺骨)を骨折し、開幕1軍メンバーに漏れた。初出場は10試合目4月17日の巨人戦(甲子園)。代打で槙原(寛の目の右下に「、」)己に三振を喫している。その後も主に代打や途中出場。初安打はようやく5月4日の巨人戦(後楽園)で江川卓から詰まった当たりの中前打だった。

 当時の本紙記事を読み返すと首脳陣の辛抱が伝わってくる。初安打に打撃コーチ・横溝桂は「ヒットは当たりは悪くても心の迷いは吹っ切れたはずだ」と話している。すると、3日後のヤクルト戦(神宮)で初本塁打が出た。苦手とされた左腕・梶間健一から放った。

 翌日の本紙囲み欄『猛虎の華』に前夜、バースが小林繁と、宿泊先のサテライトホテル後楽園のバーで通訳・三宅徹を交えて野球談議を交わした逸話がある。「後楽園の外野が低く見える」と言うバースに、元巨人の小林が「いいところに気がついた。ゴルフの打ち下ろしの形になっているんだ」と答えるなど3時間ほど話した。

 また、バースは川藤幸三らと将棋を指し、夜の街にも一緒に繰り出すなど、日本に、チームに溶け込もうとしていた。

 初本塁打からしばらくして7番で先発メンバーに定着(主に右翼手)。その後6番、5番と打順を上げ、7月12日から3番を打つようになったのだった。1年目の最終成績は113試合に出場、打率2割8分8厘、本塁打は後半に量産し35本だった。この姿勢をボーアに伝えたい。

 ボーアも1月29日の入団会見で語っていたのを思い出す。来日まで日本語学習のCDを購入し、リスニングにライティングと勉強していたそうだ。「チームに溶け込みたい。強いチームは選手同士でコミュニケーションがとれている」

 これも大切な「バースの再来」の要素だと言えるだろう。=敬称略=(編集委員)

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