聖光学院・星、檜枝岐村から初の甲子園球児の夢消えても“代替大会”で輝く!

[ 2020年5月24日 06:30 ]

投球練習を行う聖光学院・星
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 春のセンバツに続き、第102回全国高校野球選手権大会(甲子園)も中止となった。高校球児にとって無念の夏となったが、夏13連覇中の福島県王者・聖光学院には秘境の地から夢を追った球児がいた。

 聖光学院の中でも投打に存在感を見せる星匠(3年)。人口が約600人で、村民の姓が「星」「平野」「橘」の3つで占める会津地方の檜枝岐(ひのえまた)村出身だ。村から初の甲子園球児として期待されていたが、夏の甲子園が中止となり、星は絶望した。

 「いつでも温かい村民を喜ばせたかった。自分の力で好きな檜枝岐村をもっとみなさんに知ってほしかった」

 自らの活躍で地元を活気付けることがかなわず、母・真希さんに泣きながら電話するなどショックは大きかった。それでも母や村民は温かい言葉で返答。「甲子園はなくなったけど、頑張って戦っている姿だけでも十分村の人は喜ぶ。諦めないで頑張ってほしい」。見守ってくれている村民の思いを胸に星は一歩踏み出した。

 檜枝岐中時代は同級生が4人。全校生徒は15人と少なかったが、星は「食べ物がおいしい。温泉もあるし、歌舞伎などの伝統も大切にしている。人の距離が近いし、温かい。自慢の村です」と自然あふれる地元を愛する。

 また、檜枝岐中にはバドミントン部しかなく、週4日、片道1時間かけて通って、南会津ボーイズでプレー。最寄りのコンビニも車で約1時間かかった。「両親は野球経験がないのにキャッチボールをしてくれたり、送り迎えなどしてくれたりずっと支えてくれた。ありがたい気持ちしかないです」と感謝を口にした。

 日本有数の豪雪地帯の“おらが村”で育った星にとって強豪・聖光学院への進学は夢のまた夢だった。「田舎出身なので、他校では誰が上手いとか比較対象がいなかった」と振り返る。「でも、やるなら一番強い高校でやりたかった。村民を甲子園に連れて行きたかった」と“檜枝岐愛”が星の背中を押し、絶対王者の一員となった。

 素直な性格に加え、練習熱心な星は新チームとなり、投手と外野手を兼任。昨秋の県大会で背番号9を勝ち取った。聖光学院は県大会の初戦で、元仙台育英の佐々木順一朗監督率いる学法石川と対戦した。だが、星の出場はなく、チームもまさかのコールド負けを喫した。星は「檜枝岐村から小学生の知り合いが見に来ていた。良いところを見せたかった」と悔しさが残った。準決勝や決勝に進出した際は村民が村をあげてバスをチャーターし、応援に来る予定だった。チームを勝たせられず、自身も出場できず二重の苦しみを味わった。冬は食トレに取り組み、6キロ増の78キロまでパワーアップ。打者として飛距離を上げ、投手としてストレートのノビを高めた。悔しさをたくましさに変えたが、夢舞台は幻と消えた。

 聖地への道が途絶え、気持ちを完全に切り替えることは難しい。だが、星は開催が検討されている県独自の代替大会で死力を尽くし、花道を飾るつもりだ。「自分の姿を見て、喜んでもらえるようなプレーをする。打者ならホームラン。投手では完投してチームを勝たせたい」。“檜枝岐の星”が投打で活躍し、村に光を照らす。(近藤 大暉)

 ▽檜枝岐村 福島県会津地方の南会津郡に属し、面積は390・5平方キロメートルながら人口は約600人と少なく、人口密度が日本一低い。日本有数の豪雪地帯で、1年間の平均気温は8度に満たない。県内で唯一、米の生育ができないため、そばや雑穀、野菜などを栽培する。日本有数の高原湿原・尾瀬の入り口で、温泉や檜枝岐歌舞伎など観光業が盛ん。裁ちそばやサンショウウオの天ぷらといった「山人料理」が名物だ。村民の姓は「星」「平野」「橘」で占められる。

 ◆星 匠(ほし・たくみ)2003(平15)1月29日生まれ、檜枝岐村出身の17歳。檜枝岐小4年時から舘岩ベアーズでソフトボールを始めた。檜枝岐中に進学し、南会津ボーイズでプレー。家族は両親と姉。1メートル80、78キロ。右投げ左打ち。O型。

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