【内田雅也の追球】「その時」への心の備え――甲子園だけが高校野球ではない

[ 2020年5月20日 08:30 ]

午前の甲子園球場外周では並木のせん定作業が行われていた
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 心を鎮めようと、甲子園球場に出向いた。球場内は長く立ち入り禁止で外周を歩いた。五月晴れの下、並木のせん定作業が行われていた。改修前の甲子園では外壁に生い茂った蔦も刈っていた。夏を迎える準備である。

 20日午後、今夏の第102回全国高校野球選手権大会の第2回運営委員会が開かれる。折からのコロナ禍で中止が検討され、発表となるかもしれない。

 全国の高校球児(特に3年生)、保護者やファンの心情を思えば、何とも重く辛い決断である。あるかもしれぬ重大発表を前に気持ちを落ち着かせたく、甲子園まで来たのだった。

 大会開催への多くの人びとの努力を知りつつ、個人的な思いを書けば、中止との結論はもう少し待ってもいいのではないか。事態が落ち着けば授業も部活動も再開され、開催への道も開ける。

 「6月10日ごろまでは待てる」と日本高校野球連盟(高野連)理事の1人は言う。6月中旬開幕予定の沖縄や北北海道などは当初は土日のみ開催の緩やかな日程で「詰めれば何とかなる」。

 同時に「その時」の衝撃に備え、先回りして心の準備を整えておこうとする自分がいる。

 甲子園ばかりが高校野球ではない――と頭の中で声がする。全国3千7百余校のうち、出場するのが49校だけという理由ではない。

 本来、甲子園出場という目標の前に目的があるはずだ。何のために高校野球をしているのかである。教育の一環ならば、コロナ禍の球児たちはその自己鍛錬の日々で一層の人格形成がなされているはずではないか。

 日々の練習に最善を尽くせと「練習常善」を説いた「学生野球の父」飛田穂洲は戦時下1939(昭和14)年に記した『少年球児に与う』=『学生野球とはなにか』(恒文社)所収=で<野球試合は優勝旗の争奪のみが目的ではない><魂の鍛錬を唯一の目的>と書いている。

 「高校野球のバイブル」と呼ばれ、高校野球部員当時に読んだ佐藤道輔の『甲子園の心を求めて』(報知新聞社)には<学校のグラウンドと教室に本当の意味の“甲子園”がある>とあった。

 興南高監督で春夏連覇を果たした我喜屋優は<甲子園で優勝できたとしても、それは一瞬の輝きでしかない>とし<それよりも部活動を通して何を学んだか>と『逆境を生き抜く力』(WAVE出版)に記した。

 先の飛田は戦時中、軍部や政府の排撃が強まるなか、学生野球を守ろうと論陣を張った。文部省に主催を奪われ「幻の甲子園大会」と呼ばれた42年は夏の甲子園大会を主催する朝日新聞にいた。

 東京・弁天町の自宅で政府側の大村一蔵で最後の話し合いを行った。飛田の早大後輩で主将や監督も務めた伊丹安広は会談に同席し<激論が展開されるものと予想していた>と著書『一球無二』(ベースボール・マガジン社)にある。

 <けれども飛田さんは案外おとなしく大村さんの意向を承認された>。そして<「世の中こうなっては……」と説かれる大村さんの心中もおそらく苦しかったに違いない>。今の主催者や関係者も苦しいのである。

 球児たちはぜひ、今わき上がり、抱く感情を大切にして覚えておいてほしい。甲子園や明日が見えないなか、仲間と励まし合い、一人で練習を積んだ日々があった。長い人生である。「コロナ後」の世界で必ず役に立つとエールを送りたい。=敬称略=(編集委員)

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