【内田雅也の猛虎監督列伝(30)~第30代・岡田彰布】「道一筋」貫き、歓喜と別れの胴上げ

[ 2020年5月20日 08:00 ]

08年10月20日、中日に敗戦後、ナインらに胴上げされる退任する阪神・岡田監督
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 岡田彰布は「阪神の申し子」である。大阪・玉造で紙加工業を営む父・勇郎は阪神の有力な後援者だった。4歳で優勝パレードの車に乗った。虎風荘は遊び場だった。明星中時代、引退試合に備える村山実のキャッチボール相手を務めた。早大からドラフト6球団競合で阪神に引き当てられた。少年時代、内野手を勧めてくれた三宅秀史の背番号16を背負った。

 早くから幹部候補とされ、オーナー・久万俊二郎は星野仙一に後継者として伝えていた。監督となり、実家にあった村山直筆の「道一筋」を座右の銘とした。頑固でぶれない信念を示していた。

 2003年10月28日に正式就任し、東京六大学三冠王、早大後輩、鳥谷敬のドラフト自由獲得枠争奪戦に力を注いだ。

 04年。新人鳥谷を「将来を背負って立つ選手」と開幕から辛抱強く使った。8月のアテネ五輪では日本代表で安藤優也、オーストラリア代表でジェフ・ウィリアムスらが抜けた。岡田はこの期間を「新たなブルペン構築の機会」ととらえ、藤川球児と久保田智之を終盤の救援で起用した。翌年に花開く「JFK」トリオへの布石となった。

 藤川は前年オフ、整理対象だったが、02年まで2軍監督だった岡田は「短いイニングならば使える」と残留させていた。また、前年は3番で「つなぎ」に徹していた金本知憲を4番に据え「全打席ホームランを狙え」と伝えた。金本は自己最多タイの34本塁打を放ち、113打点で初の打撃タイトルを獲得した。

 5割前後を行き来したシーズンは4位。前年優勝の熱気で甲子園は連日満員が続き、観客動員は前年の330万人を上回る史上最多の352万3000人を記録した。

 05年は改革が実り、2年ぶりに優勝を奪回した。JFKは盤石。今岡誠は勝負強さを買い5番、守備の負担軽減で三塁にコンバートし、147打点は藤村富美男の球団記録を更新、打点王となった。金本はラッキーゾーン撤去後初の40本塁打の大台、打撃3部門自己最高成績で最優秀選手(MVP)に選ばれた。

 ハイライトは9月7日、2ゲーム差と迫られた中日戦(ナゴヤドーム)だった。判定に抗議し、岡田は一度、全員をベンチに引き上げさせた。サヨナラ負けのピンチに自らマウンドに行き「もう負けてもええ。オレが責任をとるから。むちゃくちゃやったれ」と言って奮い立たせた。途中出場で好守を見せた中村豊が放った決勝弾で5時間1分の激闘を制した。

 優勝決定は9月29日、甲子園での宿敵・巨人戦。岡田は「おやじが最高の舞台をつくってくれた」と言った。86年に他界した父・勇郎の誕生日だった。スタンドで母・サカヨが抱いていた遺影は8回にベンチに届けられた。本紙・中澤智晴は<父の魂も甲子園の夜空を舞った>と書いた。

 日本シリーズはパ・リーグ2位からプレーオフで勝ち上がったロッテに4連敗を喫し、日本一には届かなかった。

 連覇を目指した06年は今岡や久保田が故障。新クローザー藤川は小山正明の球団記録を更新する47回2/3無失点をマーク。8月27日、お立ち台で「必死でやっていることを分かって下さい」と涙ながらに訴えかけた。

 9月、中日との直接対決で3敗し優勝をさらわれた。2年連続80勝は球団史上初めてだった。

 07年は開幕から苦戦。4月28日から9連敗。交流戦も9勝14敗1分けで借金は最大9を抱えた。

 7月15勝6敗。8月の長期ロードも12勝8敗1分け。さらに8月30日から9月9日まで10連勝で中日、巨人を抜いて首位に立った。この間、藤川はリーグ新の10試合連続登板、2勝7セーブと獅子奮迅の快投だった。

 だが9月後半はJFKに疲れが見え首位陥落。8連敗を喫するなど最終的には3位に終わった。

 岡田体制5年目の08年は開幕から突っ走った。

 7月8日には2位巨人に最大13ゲーム差をつけた。22日には優勝マジック「46」を点灯させた。

 8月に新井貴浩、矢野燿大、藤川が北京五輪日本代表で欠けたころから歯車が狂いだした。腰痛を抱えて出場した新井は帰国後、腰椎骨折が判明して戦列を離れた。

 9月5日に5連敗を喫し、マジックが消えた。2位巨人とは3・5ゲーム差だった。広島遠征中で岡田は<恐怖感に襲われた>と著書『頑固力』(角川新書)にある。「優勝できなかったら辞める」と決断していた。

 眠れぬ夜が続いた。ある日、東京駅発6時の始発新幹線に偶然乗り合わせた。夜明けまでホテルの部屋で飲んでいたそうだ。岡田は独りでいた。「新幹線の中が一番眠れるんよ」と笑った。

 巨人の猛追は激しく、9月11日から12連勝。19―21日、東京ドームでの直接対決で3連敗し同率首位に並ばれた。10月8日の東京ドームが天王山だった。1―3で敗れ、141試合目で首位の座を明け渡した。10日、巨人はヤクルトに勝ち、阪神は横浜に逆転で敗れ、V逸が決まった。

 辞意を固めた岡田は夜、主力コーチに伝えた。翌11日、横浜での試合前、選手に「みんな、ありがとう」と伝えた。

 クライマックスシリーズ(CS)第1ステージで3位中日に1勝2敗で敗れた。10月20日の第3戦、0―0の9回表、決勝2ランを浴びた藤川を岡田は「おまえで終われて良かった」とねぎらった。選手たちは岡田を監督年数と同じ5回、胴上げした。敗戦と別れの涙が光っていた。

 猛虎の歴史も伝統も知る岡田は阪神では長期に属する5年間を終え「そんなもん」と言った。「長いタイガースの歴史からすれば、ほんの一コマに過ぎんよ」。正真正銘の猛虎愛がにじみ出ていた。=敬称略=(編集委員)

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