阪神・横田引退 元トレーナーが見た不屈の闘志

[ 2019年9月24日 11:16 ]

18年2月、リハビリ開始した頃の横田(本人提供)
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 22日に引退会見を行った横田慎太郎外野手(24)は、脳腫瘍からの復帰を目指して2年半に渡る壮絶なリハビリを行ってきた。入院時から付き添い、昨年までトレーナーとして阪神に在籍した土屋明洋氏(42)が当時を振り返った。(取材・構成=遠藤 礼)

 土屋氏は担当だった2軍の本拠地・鳴尾浜球場と病院を往復する形で週2回のペースで入院時のリハビリもサポートしてきた。退院後、まず球場で始めたのは「歩くこと」だった。「球場の外周を歩くと、横田が少し遅れ始めてね…。終わった後に“土屋さん、足がつりました”と。歩くことがしんどい…本当にゼロからのスタートだった」。ランニングどころか、歩行するだけで息切れしてしまう日々。半年に渡る病院での闘病生活で体力の低下は著しかった。小さな支えになったのが「BGM」。携帯に揃ってダウンロードしたZARDの「負けないで」を聞きながら、2人で地道に歩みを進めていった。

 リハビリ当初は、横田の「無表情」が何より気になったという。「声をかけても反応が薄いというか。周りの選手も“横田が笑わなくなった”と言ってたり。かける言葉、モチベーションにすごく気をつけた」。少しでも気持ちが前へ向けばと、段階ごとに100個のリハビリメニューを紙に書き出し、1つずつ横田にペンで塗りつぶす作業を日課にすると、あっという間にすべてをクリアした。

 次第に軽めのウエートトレーニングなどができるようになると横田は、毎回の「体脂肪測定」を楽しみにしていた。離脱前、体重96キロ、体脂肪率1ケタ、筋肉量は80キロと入団後最高の状態で仕上がっていたフィジカルが闘病を経た後、リハビリ開始時は体重80キロ、体脂肪率20%までに落ち込んだ。それでも、体力と並行して筋肉強化にも懸命に取り組み体重90キロ、体脂肪10%まで戻すのにそれほど時間は要さなかった。横田にとっても日々、厚みを増していった自慢の体躯の“再生”が、復帰への思いをより後押ししていた。

 だが、大きな壁として立ちはだかったのが、本人も引退の理由に挙げた視力。親指を立てた両手を前後に動かして焦点を合わせるトレーニング、1から30までの数字がランダムに配置されたボードを順番にタッチする動き、さらにはサングラスの特殊レンズの着用、某眼鏡ショップに飛び込みで駆け込んで助言を求めたことも。「守備の時の動画を撮って、見返してもボールを避ける仕草があったりした」。あらゆる手を尽くしても、視力だけは改善しなかった。

 「リハビリが進んでいる時は良かったけど、視力の影響で野球の実戦的な動きがなかなかできなくて停滞して。病気だから特別扱いという意識は本人にはまったく無くて。18年から育成契約になって、2年で(支配下に)戻らないとという思いでずっとやっていたと思う」。本人はもちろん、土屋氏にとっても、苦しい時間だった。

 誰もいない鳴尾浜球場の打席で素振りし、一塁へ全力疾走した“予行演習”も行ったが、実らなかった。「横田は一切、弱音を吐かなかった。目の状態を考えれば野球をできたことが奇跡だと思う。他の選手なら“こんなの意味あるんですか”と投げ出しるメニューも黙々とこなしてきた。お疲れさまと言いたいですね」。横田がたぎらせた不屈の闘志は、最後まで消えることはなかった。

◆土屋 明洋(つちや・あきひろ)1977年(昭52)7月17日生まれ、愛知県出身の42歳。大学時代にトレーナーの勉強を始め、26歳で渡米。ワシントン州立大でNATA公認アスレティックトレーナー(ATC)の資格を取得。12年から阪神1軍トレーナーを務め、16~18年はファームトレーナー。19年コンディショニングジムCOUGS(クーグス)を開設。

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