国士舘「史上最弱」から10年ぶり春切符 エースと4番が今月骨折も「何とか間に合ってくれる」

[ 2019年1月25日 17:15 ]

センバツに出場する国士舘の白須仁久(左)と山崎晟弥の両投手(撮影・森沢裕)
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 国士舘(東京)が「第91回選抜高校野球大会」出場を決めた。午後3時13分、福田三郎校長に甲子園出場を知らせる電話が入り、10年ぶり9度目の選抜出場が決まった。前日に61歳の誕生日を迎えた永田昌弘監督がナインの手で胴上げされ、全国大会に出場したサッカー部、チアリーディング部からも祝福されナイン、父母たちは最高の笑顔を見せた。

 しかし喜んでばかりはいられない。喜ぶナインの中、右手に包帯を巻いていたのが秋の大会、背番号1を付けたエースの山崎晟弥(2年)。今月12日、柔道の寒稽古で右手薬指を骨折。来週にはギプスが取れ、練習を再開できそうだが、それ以上に深刻なのが4番を打つ黒沢孟朗(1年)。山崎と同じ日、こちらも柔道の寒稽古で左足首脱臼骨折、靱帯(じんたい)損傷で全治3カ月と診断され入院中。エースと4番が骨折と吉報とは裏腹に厳しい状況でのセンバツ出場決定だった。

 永田監督は「山崎の場合は投げるときにそれほど影響のない薬指だから大丈夫でしょう。黒沢は病院でリハビリを始めているので、何とか(大会には)間に合ってくれると思う」と説明した。新チーム結成時は「史上最弱のチーム」(永田監督)とナインを鼓舞し続け、そのゲキに応えて都大会を制したナイン。山崎は「大会には影響ありません。点を与えなければ負けない。甲子園では無失点投球をしたい」と力強く話した。

 91年、センバツ初出場でベスト4。93年もベスト4まで進出し96年はベスト8と春の甲子園で大暴れした。ここからついた名前が“春の国士舘”だ。06年に国士舘大の監督に就任し16年秋から同校監督に復帰。わずか2年で再び甲子園切符を手にした永田監督は8度目のセンバツ大会となる。「3年甲子園に行けなかったら忘れられると思ってます。だから10年ぶりは初出場と同じ。1勝を目指して頑張ります」と謙虚に話した。4番の復帰は微妙だが、伸びしろ十分なチーム。全員野球で上位進出を狙っていく。

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