南陽工・重冨 炎の初完封 津田恒実さん座右の銘「弱気は最大の敵」胸に…

[ 2016年3月24日 05:30 ]

<市和歌山・南陽工>甲子園で公式戦初完封勝利を挙げた南陽工・重冨

第88回選抜高校野球大会1回戦 南陽工6―0市和歌山

(3月23日 甲子園)
 津田先輩やりました!1回戦3試合が行われ、7年ぶり5度目の出場の南陽工(山口)は、エースの重冨将希投手(3年)が市和歌山を相手に4安打完封勝利。広島で活躍し、「炎のストッパー」と呼ばれた故津田恒実さん以来、同校史上2人目の甲子園での完封勝利を飾った。

 9回2死。最後の打者・山崎に対する139球目だった。重冨はこれでもか、とばかりに腕を振り、スピードガンは自己最速の140キロを計測。空振り三振で締め、甲子園初登板で公式戦初完封という離れ業を演じた。

 「低めを意識したのが良かった。粘ることもできたし、味方の声かけも心強かったですね。公式戦での完封を目標にしてきたのでうれしいです」

 公立校対決となった一戦。重冨は5回は2死一、三塁、6回も2死満塁としたが、それぞれ遊ゴロ、中飛に抑えピンチを脱出した。「緊張はなかったし、楽しめました」。低めを丹念に突く我慢の投球を続けた結果、打線が9回に打者一巡の猛攻で一挙6点をプレゼントしてくれた。

 OBで「炎のストッパー」と称され、広島で活躍した故津田さんの座右の銘「弱気は最大の敵」を好きな言葉に掲げる。練習用Tシャツの背中や、グラウンドのベンチにも書かれているこの言葉を常に心に刻み「弱気だとチームも弱くなる。投手は弱気だと終わり」と話す。負けん気の強そうな面構えと気迫。何よりその投球フォームが偉大なOBと重なる。

 昨秋の新チームから背番号1をもらったが、主に捕手の藤本との継投が多かった。原因はスタミナ不足。「本当は一人で投げ抜きたかった」。そのため冬場は津田さんも鍛えた伝統の「海・山・坂」メニューで徹底的に下半身をいじめた。

 「海」は長田浜で約50メートルのダッシュを30本。「山」は近所の1周3キロ弱の若山を、12分以内にゴールするトレッキングトレーニング。そして学校近くの300メートル弱の坂を何度も駆け上がる「坂」。「吐く選手もいる」というこの地獄のメニューをこなした上で、重冨は帰宅後もさらに毎日1時間以上走り込んだ。そんな懸命な努力が、聖地での快投を生んだ。

 南陽工の完封勝利は、78年夏の初戦、宇治山田商戦で津田が達成して以来、同校史上2人目の快挙。「尊敬する南工の先輩に近づきたい」という重冨だが、山口高時代に津田さんと対戦した経験のある山崎康浩監督は「まだまだ。大先輩に失礼」という。だが、それも期待の裏返し。2回戦の相手は強打の秀岳館(熊本)。勝てば津田さんを擁した78年と09年以来のベスト8となり、指揮官の評価も変わるに違いない。 (井上 満夫)

 ▼78年夏の甲子園1回戦・南陽工2―0宇治山田商 1年時からエースとして活躍し、同年センバツで8強入りに導いた南陽工の津田と宇治山田商のエース中村の投げ合いになり、5回に南陽工が2点を先制。津田は3安打完封、9三振を奪う力投でリードを守り切った。南陽工は2回戦で0―1と天理に惜敗した。

 ≪重冨 将希(しげとみ・しょうき)≫

 ☆生まれ 1998年年(平10)8月20日、山口県生まれ。

 ☆サイズ&投打 1メートル82、84キロ。右投げ右打ち。靴のサイズは28センチ。

 ☆球歴 小学1~4年は周南ボーイズで硬式野球、4~6年は中村スポーツ少年団でソフトボール、末武中野球部では投手で4番。南陽工にはOBの岩本輝(現阪神)に憧れ入学。

 ☆球種 直球、スライダー、縦カーブ、スプリット。

 ☆人前は得意 末武中時代に生徒会の学習委員長を任されて「人前で話すことは緊張しない」。

 ☆趣味 夜空を見ること。「ランニング中、よく流れ星を見ますよ」。山田悠介の小説も好き。

 ☆夢 プロ野球選手。

 ☆愛称 ショウキ、しげしょう、しげ兄。

 ☆尊敬する人 松岡修造。

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