闘将と斎藤隆のきずな 2年前の雨降る夜に…

[ 2015年9月24日 08:30 ]

8月に引退会見を行った楽天の斎藤隆

 2013年9月15日、細かい雨が降る静かな夜だった。Kスタ宮城(現コボスタ宮城)のオリックス戦は雨天中止となり、当時の楽天・星野監督(今季からシニアアドバイザー、9月7日から副会長)は仙台市内の自宅に戻り、くつろいでいた。そこに突然、インターフォンが鳴った。訪問者は斎藤隆だった。

 斎藤は老齢の男性を伴っていた。腰痛に苦しむ指揮官のために自身が懇意にしていた整体師だった。「どうしたんや、いきなり」。口ではそう言いながら内心はうれしかった。その後、松井稼も訪問。2人と野球談議に花を咲かせながら心地よいマッサージを受けた。

 記者は12~14年に楽天を担当した。13年の9月といえば球団初優勝に向け、チームは順調にマジックを減らし、担当記者は日々の原稿に追われつつ「Xデー」に向けたネタの仕込みにも動いていた。翌16日、球場で「きょうは腰の調子がええ」と上機嫌で話す星野監督の表情を見て心の中で「何かあったな」と直感。「いい整体師でも見つかりました?」と質問したが「まあ、ちょっとな」とはぐらかされた。その後に周辺を取材し、斎藤の「心遣い」を知った。

 星野監督が持病の腰痛を最初に悪化させたのは楽天監督に就任して間もない10年秋。その後は小康状態が続いたが、エース田中(現ヤンキース)を中心に快進撃が始まった13年の7月頃から痛みが再発した。座骨神経痛からくる足のしびれや腰の痛みは増す一方。それでも「選手はいつも監督の顔色をうかがう。だから絶対に痛い素振りは見せない」と体に鞭打ち、痛み止めの薬を服用しながら指揮を執り続けた。当時は試合後に監督室に戻るとソファに倒れ込み、靴下を脱ぐにも職員の助けを借りていたほど。そんな症状を密かに知った斎藤は「自分にできることはないか」と考え、行動に移したのだった。

 チームは9月26日、西武ドーム(現西武プリンス)での西武戦でリーグ優勝を決め、日本一まで駆け上がった。メジャーから8年ぶりに日本球界に復帰した斎藤も救援で30試合に登板し、3勝0敗4セーブ、防御率2・36。仙台出身のベテラン右腕は、11年に東日本大震災を経験した東北にとって、まさに「復興のシンボル」となった。

 大物選手の引退が相次ぐ今季、45歳の斎藤も通算24年の現役生活に終止符を打つ。先日、星野副会長に会う機会があり、整体師の話を振ると「あの時は隆の気持ちがうれしかったな」と遠い目をして振り返り「あいつがいなかったら日本一はなかったよ」とも言った。田中を筆頭に功労者は多いが、斎藤がグラウンド内外で示した存在感は大きかったと、記者も思う。(山田 忠範)

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