創部4年目の西部ガス “どん底”0―20からの都市対抗初切符

[ 2015年7月14日 10:10 ]

空き地でノックを受ける阿部

 第86回都市対抗野球(スポニチ後援)が18日、東京ドームで開幕する。今大会唯一の初出場チームが創部4年目の西部ガス(福岡市)だ。九州出身の選手にこだわり、平均年齢は23・5歳と若い集団だ。社会人の日本代表監督も務めた杉本泰彦監督(55)、駒大苫小牧を率いて夏の甲子園2連覇に導いた香田誉士史コーチ(44)らに導かれたチームが歴史に名を刻む。

【日程 組み合わせ】

  都市対抗予選に参加して3年目。戦う集団になった西部ガスは、若い選手らで初出場切符をつかんだ。九州最後の1枠を争う第3代表決定戦。2年目の阿部が6回無失点と好投。清藤、エース左腕・今村とつないでHonda熊本を4―1で下した。九州大理学部では細胞の分解実験などをこなしながら野球に打ち込んだ異色の経歴を持つ147キロ右腕の阿部は「社会人でも野球を続けたかった。声をかけてもらったので」と西部ガス入社当時を振り返る。

 「会社のシンボリックスポーツをつくろう」という幹部の言葉がきっかけで12年4月にチーム創設。広い人脈を持つ杉本氏が監督人選を依頼されたが「決まりかけた人がいたが難しいことになって。それで最終的に僕がやることになった」。当時は日本通運で支店長を務めていたが、会社同士の話し合いで異例の出向扱いで監督に就任した。

 新人選手13人。同社軟式野球部から移籍の5人を加えた18人での船出。対外試合初戦は12年6月5日。ソフトバンク3軍相手に0―20で敗れたが杉本監督は「あれは僕たちスタッフの決意表明だった」。あえてプロとの試合で、どん底からチームづくりに着手した。

 グラウンドのベンチは一塁側だけでオープン戦はできない。専用の寮はなく、クラブハウスも小さな2階建てのプレハブ小屋だ。恵まれた環境ではないが、杉本監督は「誰からも愛される野球部」を掲げ、活動理念に(1)人間力の向上(2)仕事と野球の両立(3)地域への貢献、の3本柱を設定した。「私は社会人では現役で7年、コーチ、監督で11年。野球が終わって社業に戻った時、野球を辞めてからの方が大事だと気付かされた」。選手には午前中の出社を義務づけ、練習前には30分間のミーティングで、さまざまな話を選手に聞かせた。

 昨年から主将に就任した川越(かわごし)は、入社試験まで野球部創部を知らなかった。「腰が悪かったので大学までで野球は辞めようと思っていた。入社が決まったら部が立ち上がると聞いて、縁があって続けることになった」と回想する。初の都市対抗出場が決まると「同僚からは“せいぶガス”と言われないように。“さいぶガス”の名を広めて」と広告塔の役割も託された。

 22日の1回戦。初出場の相手は大会最多57度の出場を誇る日本生命に決まった。「格が違うので、うちとしては戦いやすい。筆頭株主なんですけどね」と杉本監督。選手たちが福岡で磨いてきた人間力を、東京ドームで披露する。(川島 毅洋)

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