ロッテ吉井新監督が選んだ背番号21の原点とは…「あのミカン畑でよく遊んだよ」

[ 2022年11月8日 08:00 ]

10月の監督就任会見で背番号21を披露した吉井監督
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 もう10年以上前だと思う。「昔はよく東尾のおっさんの実家のミカン畑で遊んだんだよ」――。そんな思い出を、吉井さんから聞いたことがある。

 10月18日、ロッテ・吉井理人新監督の就任会見がZOZOマリンで行われた。そこで発表されたのが、背番号「21」だった。ちなみに、現役最後の球団となった07年ロッテでは「24」を背負い、ロッテで投手コーチを務めた19~21年は「71」だった。

 では、なぜ「21」なのか。吉井監督は和歌山県出身で、箕島高校時代は本格派右腕として甲子園でも活躍し、83年ドラフト2位で近鉄に入団。最初に背負った背番号は「36」で、「11」を挟んで、1990年から「21」となった。

 ミカン畑の思い出話を聞きながら、「右のエース番号は21番だと思っている」とも聞いた。21番は、母校・箕島高校の大先輩で、西武のエースとして通算251勝をマークした東尾修氏が現役時代に背負っていたものなのである。

 吉井監督と東尾氏の実家はすぐ近くで、卒業した小・中・高とすべて同じ。一番の憧れの存在だったのだ。ヤクルト、メッツ、オリックスなどでも21番を付けたぐらいだから、大切な番号なのだろう。

 ただ、現役を引退し、背番号にあまりこだわりを持っていないと思っていたので、今回21番を選んだことは意外に感じた。会見では「本当は侍ジャパンと同じ81番にしようと思ったけど、先に付けていた人(伊志嶺コーチ)がいたので、空いている番号の中から選びました」とその理由も明かした。

 「選手のときは、高校時代の先輩の東尾さんと同じ番号を付けたいと思ってプレーしていた。今はたまたま空いていて、誰も付けたがっていないので、一度、自分が付けてから、期待する選手に渡したいなと思っている」――

 そんな言葉にも21番への愛着が感じられた。(記者コラム・横市 勇)

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2022年11月8日のニュース