【杉谷拳士の原点】帝京1年夏の甲子園 壮絶に散った智弁和歌山戦の忘れ得ぬ1球

[ 2022年10月28日 16:20 ]

2006年夏の甲子園準々決勝、智弁和歌山戦。9回無死一塁の場面で登板した帝京・杉谷拳士
Photo By スポニチ

 現役引退を表明した日本ハム・杉谷拳士には“忘れられない1球”がある。2006年夏の甲子園準々決勝、帝京―智弁和歌山。両軍29安打25得点、7本塁打が飛び出した「甲子園史上最も壮絶な試合」と語られる一戦。杉谷は帝京で1年生ながら「8番・遊撃」で出場していた。

 4―8で迎えた9回表に帝京が2死一、二塁から4番・中村(現ソフトバンク)が適時打。さらに連打を浴びせ、7―8と1点差に迫った。なおも2死満塁では杉谷が、左前へ2点適時打を放ってついに逆転に成功。この回一挙8点を奪い、12―8と4点リードで9回裏を迎えた。

 しかし、代わった投手が制球に苦しみ3ランを浴びて1点差。次の打者に四球を与えたところで、帝京の前田監督が投手交代を告げた。代わってマウンドに上がったのは公式戦初登板となる杉谷。東練馬シニア時代は投手だったが、高校時代は練習試合で投げただけだった。

 1点リードで迎えた9回無死一塁。1球目、捕手から出たサインは「カーブ」だったという。しかし、杉谷の持ち球は直球とスライダーの2球種のみ。杉谷は「え?カーブ?俺、持ってないよって」と当時を振り返る。雰囲気にのまれ、勢い任せで投じた108キロのカーブが相手打者の左腿を直撃し、わずか1球で交代することとなった。

 そして代わった投手も智弁和歌山の勢いを抑えられず、9回押し出し四球でサヨナラ負け。杉谷にとって初の甲子園が苦い思い出となった。杉谷は「1球で試合の流れが変わるスポーツ。1年生で経験できたのは大きかった」と振り返っていた。

続きを表示

2022年10月28日のニュース